岩田宏と触媒としての林光
岩田宏(1932-2014)という詩人が最近気になっている。と書くと馬鹿かと思われるだろうか。
もちろん名前を聞いたことはあったし書いたものを読んだこともあったが、名高い翻訳家である小笠原豊樹と同一人物であると初めて知ったのが訃報を通じてだったので、果たしてどれほど正しくその存在を認識していたかはまったくこころもとない。
没後、小笠原名義の遺作となった『マヤコフスキー事件』をぱらぱらめくっては、詩人=翻訳家が生涯をかけて続けたロシアの詩人ウラジーミル・マヤコフスキーに関する探究の深さと対象に寄せる熱意にただ圧倒された。人は若い日に出会った神を一生追い続ける。たとえ生前にお目にかかれたとしても語り得る共通の話題があったとは到底思えないが、それでも人は会える時に会えないと会えなくなることがあるという当たり前の教訓をまた噛み締める。
私が岩田宏のことに改めて興味を持つようになったのは、これまた近年鬼籍に入った作曲家・林光(1931-2012)の作品がきっかけだった。正確に言うと、オンラインで購入できる楽譜のリストを眺めていて、林光・作曲、岩田宏・詩の混声合唱曲『動物の受難』(全音楽譜出版社)がなぜか500円(税抜)という格安価格で販売されていたのに気づき、深く考えずに飛びついたのがことのはじまりだ。安い楽譜は見つけたときに買うに限る。
現代詩の門外漢でも、以前から詩作品としての『動物の受難』は知っていた。ご存知の方も多かろう。戦時中の動物園における悲劇を題材に、鏡像形式のプロローグ・エピローグに挟まれた詩句の中で動物たちが次々死んでいく様子を淡々と綴った佳作である。
一節ごとに「さよなら よごれた水と藁束……」という哀歌が反復される構成からして行間から音が聞こえてきそうで、音楽化に極めて向いている作品ではないか、と副業ミュージシャンとしては思っていたのだ。林さんは岩田さんと組んで舞台作品などを手がけていたようだから、そうかやっぱりこの詩にも音楽を付けていたんだな、と納得しかけた。
だが、この作品の成立の過程は想像とちょっと違った。楽譜の前書きの1行目にこんな文章があった。書かれた日付は「昭和58年11月」。
つまり林さんによればこの詩自体が、合唱曲として発表されるために書かれたものだったのだ。詩がその後多くの人に親しまれたのに対し、合唱曲の方は再演機会に恵まれている印象はない(合唱パートの難度に加え、伴奏にヴィブラフォンを要したことも影響したのかもしれない)のはもったいないことだ。
しかし林さんとしては、この優れた詩の誕生に自分も関わっていたことを、楽曲成立から二十年以上経っての楽譜出版に際して( )の中の五文字分、控えめに、でも少し誇らしげに記録しておきたかったのではないか。まったくの想像ではあるが、そんな気がした。
となると俄然ほかの詩も気になってくる。
岩田宏の第ニ詩集の表題作でこれまた有名な『いやな唄』も、読むだけでブルースのだるいリズムが感じられる傑作(実際にメロディーを付けて発表しているアーティストもいる)だ。これも林さんは当然音楽化しているだろう、と当たりをつけて調べてみた。私はこの詩が大好きなのだ。
案の定、林さんが自作を歌っているCD『花かざれ~林光自演ソング』に収録されているとわかり、早速買い求めた。作曲は1957年。ライナーノートの楽曲紹介を引用する。
こちらも林さんが介在して生まれた詩句だった、ということになる。
林さんの自伝『楽師の席から 私の戦後音楽史』(晶文社)を開くと、岩田さんとの出会いとそのへんの経緯がもう少し詳しく書かれていた。
そして詩人は音楽にも大変な才能を有していたようだ。同書352ページから引用する。
残念ながらこのシャンソンの方もその後人口に膾炙したとは言い難いが、詩は折に触れて新たに読者を獲得しながら今日に至っていることを思うと、不思議な感覚に襲われる。林光の存在が優れた詩をこの世に齎した。あるいは、もともと音楽家を目指していた岩田宏の詩の音楽的な美点を、歌うための言葉を注文した林光が最良のかたちで引き出したのではないか。そう断定するには二例だけでは少なすぎるが。
私は岩田宏についてほぼ何も知らない。才気煥発な詩人として活躍していた彼がどうして中年以降は詩から疎遠になってしまった(新しい詩集が刊行されていないだけで詩作は続いていたのかもしれないが)のか、その後うたわれるべき詩を詩人に求める人はいなかったのか、など気がかりなことはいろいろある。自分で調べるべきなのだが、詳しい事情をご存知の方がおられたらぜひ教えてほしいと思う。
ただ、私がこのさきの物語を知る必要があれば、たとえば楽譜の安売りのようなかたちでいつかまた何かしら偶然のめぐり合わせがあるだろう、と期待してもいる。詩とはそういうふうに出会いたい。
そして話は全然違うのだが、たとえば石原吉郎の詩句などももう一度音楽と共に辿り直してみたい、既に作られた楽曲があれば聞いてみたいしなければ自分で作ってみたい、などと大それたことを考えたりもしている。文字は音に乗って遠くまで旅をし、新しい誰かと出会う。この世界には多くの詩が音楽との接点を求めてさまよっているのではないか。