「思い」を「形」にするということ

-自分の思いを形にする
-誰かの思いを形にする
-自分の思いを誰かに形にしてもらう

そうやって世の中のものは生まれています。

全て、「思うこと」が始まりのように私は思います。
どうしても「形にすること」がわかりやすく、評価もしやすくされやすい。
そのため、他人が「形にしたもの」を見て焦ってしまい、
当初の「思い」がどこかにいってしまっていないかは常に注意しています。

-たくさんの特典をつけたり
-派手に着飾ったり
-何かとてんこ盛りにしたり
そういう人ほど自信がなく、不安と戦っているように私には見えます。
つまり、「形に囚われすぎ」なのです。

本来は
特典を配りたいわけでも
着飾りたいわけでも
もりもりにしたいわけでも
なかったはずです。

迷い、調べるうちに、
自信のなさと不安から、あれもこれもと足してしまい
当初の「思い」がどんどん薄れていった結果のように私には見えます。

そして、最近では「形」の部分だけを見て壮絶な叩き合いが始まることもよく目にします。
叩いてしまっている人ほど、「思い」の部分に鈍感であり、「形」しか見ることができない、本質的な「思い」に気付けないのだと私は思います。

発信が容易な時代になり、
発信巧者に触れる機会が増え、発信の苦手な人が悪になることも増えました。

しかし、本質的には、
「発信巧者の情報しか理解できなくなっている受け手が増えている」
ことも見落としてはならないと私は思います。

どんどん、「形」しか見ることができない人が増えており、
その自覚を持ち合わせていません。
私もその一人という可能性もあります。

情報の更新が早く、裏側の「思い」まで考えられるほどの余裕がなくなっているという時代背景もあります。

時代背景も相まって、いずれにしても、
「形」に囚われやすくなっていることは否めないと考えています。

「形」にとらわれるとどうなるか。
冒頭でも申し上げたように
焦り、自信喪失、不安感につながると私は考えています。


「思い」の部分を練りましょう。
共感してくれる人は必ずいます。
自戒を込めて。

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