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「数分間のエールを」MV制作者の視点で:感想&自分語り

映画を観て、これは書くしかない!と思い勢いでnoteを始めました。温かい目でご覧ください。


「美術部員」のテンプレの変化

外崎くんのような、まともで運動も勉強もできる「爽やかイケメン」が美術部員として、前置きもなく自然に描かれているところに好感を持った。
自分が子供の頃の漫画やアニメに出てくる美術部員といえば、集団からあぶれた奇人変人の集まりか、天才肌かだった。美術部といえば理解できない部活、いわば不可侵の領域になっていたような気がする。


「ブルーピリオド」1巻表紙


それが「ブルーピリオド」を機に、「制作に真面目に取り組んでいる」姿が描かれるようになって本当に嬉しかった。芸術は心のぶつけ合いだ。身体的特徴を伴わないからこそ、スポーツ以上に魂がすり減る。

だからこそ、青春を制作に捧げた人にも、焦点が当たるようになってきていて嬉しい。文化部が運動部と比較されて、下げられるような風潮が最近なくなってきている。下の世代にはなんの後ろめたさも感じずに、制作にのめり込んでほしい。意味はある。努力した意味は必ず。

「才能」

「才能」。心がひやりと冷たくなる言葉。モノづくりをしている人はきっと誰もがそうだ。彼方からすれば、周囲から評価されている外崎くんは「才能がある」側に見えたが、外崎くんにとっては、作りたいものが溢れ出る彼方の方が「才能」がある、そう見えたのだろう。美術の、特に写実的な画風の部員が悩むことでよくあることで、本当に共感しやすい。周りに評価されたからといって、技術が一定ラインを超えたからといって、なんなんだ。

私自身、中高と美術部で、それなりに努力して、何度か賞もとったりして、頑張った。でも、美大には進まなかった。「大学を出て堅実に稼いで、絵は趣味でやるよ。」なんて周囲には言っていたが、本当はただ怖かったからだ。

伝えたいことが当たり前のようにあって、制作に命をかけているような人が大勢いる環境に入って、生きていける気がしなかった。

今の道を選んだことを後悔はしていない。ただ、あの日「逃げた」という感覚はずっと残っている。外崎くんが美大を諦めて進学したのも、そういう感覚なんじゃないかと思う。

路上で問答する外崎と彼方のシーン。街灯をスポットライトのように使うのも非常に美しかった。

彼方は「夢を諦めなかった側」なのか?

作中で、外崎も織重 夕も「彼方に夢を諦めた者の気持ちはわからない」と言って一度は彼を拒絶する。「夢を一度諦めた」2人との対比で、彼方は「夢を追いかける側」として描かれている。
でも、本当に彼方にその気持ちはわからないのか?
本当に、彼は夢を諦めなかった人なのか?

答えはNOだ。彼方は確かに、MV制作という夢においては始まったばかりの上り調子だ。でも、美術で一度夢を諦めている。外崎への憧れと、自分の実力とのギャップで筆を折っている。

私はこれがどれだけ辛いことか知っている。
私がMV制作を始めたのも、そうだったからだ。

一枚にどれだけ時間をかけても、誰も見てくれない。ふと周りに目をやると、自分より上手い人がごろごろいて。これ、自分が作る意味なんてあるのか?
高校を卒業してある日ふと、そう思ってしまった。
そこから思うように描けなくなった。

応援する側の制作

誰にも届かないなら、描く意味なんてない。そんなことが頭をよぎって、手が止まる。そんな悪循環の中でも、ファンアートだけはどうにか描くことができた。
世界にこれだけ、創作している人がいる。
だったら、それを応援する人がいたっていいじゃないか。

むしろその方が、必要とされているんじゃないか?

そんな願いで、作ったのが「夏嵐と透明人間」という楽曲の冒頭10秒の動画だった。

そこから縁あって依頼を頂いて、現在もMV制作者として活動している。

(↑ファンアートをきっかけに「フル版で作って欲しい」との依頼を頂いて制作した、MV1作品目。)

一度夢を諦めた者として

彼方も絵を諦めた自分と重ねることで、2人の気持ちがわかったんじゃないかと思う。だからこそ最後のMVはカンヴァスをモチーフにしていて、その悔しさをぶつけたからこそ織重先生にもOKをもらえるようなものが作れた。

人生で味わう痛みや苦しさは、その瞬間は本当に勘弁してくれって感じだけど、制作には生きるんだよなとしみじみ思った。


「数分間のエールを」ティザービジュアル

この映画は、登場人物が最後に大きな成功を収めるわけじゃない。日常が劇的に変化するわけでもない。でも一歩ずつ、前へ。あの結末だからこそ、表現者の人生としてリアリティがあってとても良かった。

痛みもいつか活かせる、という考えは希望だ。少なくとも、作る側の自分にとっては。

「MVにスポットライトを」

創作というジャンルにおいてMV制作の立ち位置は特殊だ。自分の伝えたいことの表現ではなく、元からある楽曲のために作るもの。それはまさに「数分間のエール」だ。

ある意味影武者というか、個を出しすぎてはいけないというのは、制作する際に常に思っている。

ただ、それでも「モノづくりをする側」に入れてもらえたのがとても嬉しい。確かに「曲ありき」と言われればそうだけど、こっちだって本気で作ってるんだ!色々考えてるんだ!というのがこの映画で伝わればいいなと思う。

その面で、前半の彼方は曲を聴いて「自分の思ったこと」を表現するぞ!!というのが強すぎたかなと。個性は悪いことではないが、MV師がするのはあくまで「曲の伝えたいことを映像に翻訳する」作業だと思っているので、方向性が楽曲と合わないのはまずいなと思う。そこは現在 動画制作の仕事をしている自分には共感できなかったが、後半で彼も成長したんだろうなと思った。
今回のことを経て、対話の必要性を学んだ彼の今後の作品を見てみたい。
きっと良い動画師になるんだろうな。

机に向かって作業する彼方。

終わりに 独り言、MVの作り手視点:


自分にとってMV制作は「曲の伝えたいことを映像に翻訳する」作業だ。
ただ、楽曲と張り合わないといけないというのも事実だ。

いい楽曲であるほど、こちらもある種「自分の作品」をぶつけるつもりで作る。そうして楽曲と動画を合わせた時に、
魅力が足し算ではなく掛け算になるような映像を目指している。

一般的なMVは、コスト削減の面もあって使われる絵の枚数は実は少ない。もしくは大人数でスタジオ体制で制作するが、それはお金も時間もかかるので作品数としては多くない。

誰よりも枚数を描けば、戦える。

上手くなくても。逃げた自分でも。

そうして、アニメMVの制作を始めた。

活動を始めて一年が経とうとしている今、この映画に出会えたことを幸運に思う。映画館でずっと泣いてました。ありがとうございます。ストーリーもキャラデザもだけど、本当に映像が素晴らしく美しくて、
新時代の映画として、このスタジオの作る作品もっともっと観たいなと思ったので、もう観た方もまだ観ていない方も何回でも映画館行くのをお勧めします!!!とりあえず私は友人2人捕まえたので週末に2回目いってきます!

過去の作品と本

宣伝みたいになってしまうの嫌なんですが、でも作品抜きに語るのは嘘だなと思って…。苦手な方はスルーしてくださいすみません。

泥臭くアイデアと枚数で勝負していますが、良かったら見ていってやってください。これまで関わった楽曲への、私なりのエールです。

一応、こんな感じで本も出してます。アニメMVの作り方本です。自分でいうのもなんだけど面白いよ。


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