ナツノカナタのプレイ感想
ナツノカナタというPCゲームの感想をネタバレに配慮して記載する。
初めはネタバレに触れない内容で、後半はネタバレを気にしない感想になっているので注意。
このゲームは楽しめた。
テキストアドベンチャーゲームで、所謂ノベルゲームをあまり楽しまない私でも楽しめていたと思う。
このゲームのあらすじを簡単に記しておこう。
プレイヤーである「あなた」は偶然見つけた古いコンピュータに導かれて「ナツノ」という少女と通話することとなる。ナツノのいる世界はパンデミックによって崩壊しており、彼女は一人で行くあてのない旅をしているのだという。しかし、あなたの住む世界では社会の崩壊とは無縁で平和な日常が続いている。
彼女のいる世界は何なのか、何故あなたと通話できるのか、なぜ世界は週末を迎えたのか。数多の謎を抱えながら、あなたは少女との交流を深めていく。
といった感じである。
楽しめた理由というか退屈が小さかった理由は探索パートがあったからだ。
ただただテキストを読むだけだったら、おそらく途中で退屈になってゲームが続いていたか分からなかった。探索パートで多少なりとも頭を使う場面があったからリフレッシュになって続けられたのだと思う。
探索パートでは荒廃した街を探索してアイテムを収集するのが目的だ。収集するのは次のエピソードに進めるためのキーとなるアイテムや探索を有利に進めるための食べ物や装備品、クラフト用のアイテムで、無事に探索を完了しながらキーアイテムを探すことになる。探索が失敗になる要素として空腹による餓鬼や感染者の攻撃による致死があるので、そこを回避しながらどこまで探索できるかエピソードパートにはないスリリングさがあった。
また、探索中はテキスト入力をすることでナツノとコミュニケーションがとれるのが個人的に斬新だった。これも退屈とならない一因だった。
探索パートの難易度はノーマルを選択してプレイしていたこともあって、かなりカジュアルであった。生存が厳しく先へ進めないといったことは一度もなかった。なので、エピソードが気になるという人でも問題なくゲームを進められるだろう。
また、クラフトというアイテムを元に別のアイテムを作成するギミックもあり、拾ったアイテムが何に活用できるのか、という楽しみもあった。
クラフトは変に凝ったものではなく、ただアイテムを組み合わせてアイテムを作成するだけのシンプルなものだったのも気軽でストレスがなかった。
エピソードのパートでもあらすじで述べたような謎があり、それがどう解かれていくのかというワクワクがあった。また、ナツノだけでなく他のキャラクターも登場する。彼女らはどのような交流をするのか、終わった世界で何を目的に生きるのか、そういった面を楽しむことができる。
他にはイラストに忌避感がなく、BGMもいい具合にゲームを盛り立てるもので不満がなくいい感じだった。
総じて、取っ組みやすいイラスト、雰囲気の出るBGM、内容が気になるようなエピソードと、ただ話を読むだけではないちょっとした遊びのあるいいゲームだった。
これが無料である。
以降ネタバレががっつり香る感想
作中の謎と物語のつながりが結局は偶然で何も必然ではなかった、という謎の解決に正直少々もやもやした。すっきりした感覚はなく、「え?」という感覚だった。
ナツノの世界はPCの中に作られた世界。それはいい。けれど作られた理由は当時ブームだったから。確固たる目的のない偶然である。
ナツノ達が生きるのは偶然つくられたPCの中の世界、という結論からナツノの世界で起こった出来事はすべて偶然の賜物という理由になる。そうなるのは何だか悲しかった。いや、さびしいのかもしれない。ナツノ達もこういった感覚だったのだろうか。
何故世界が崩壊したのかは、感染者と呼ばれる存在が発生したから。その理由として「さみしさ」が限度を超えて外の世界と繋がろうとして変容しているから、とあった。しかし、それはイツカの想像。本当はどうか分からず、変容も感染者も偶然と言ってもいい。
上述のように作中での謎明かしはイツカ達が述べた想像と、あなたが突きとめた事実に分けられる。事実はナツノの世界はPC内で偶々作られたもので、ナツノとあなたの感じるさみしさは異なることくらいだ。他の謎明かしはすべてイツカ達の想像で、きっと正解は「偶然」なのだろう。
ナツノの世界がPCで作られた世界、外部から観測できないシミュレーションのような状況であるが故に、ナツノの世界で発生している不思議はすべてシミュレーション結果の偶然と言っていいのだろう。変容して感染者となるのも、さみしさの爆発だとしても大元は偶然。ナツノの世界が外に世界があると認識して変容を促している、と想像できるけど、偶然起きたと言ってもいい。ナツノのスマホが外の世界と繋がるのは数多の変容が生んだ偶然かもしれないし、そうではない偶然かもしれない。
ハンドガンとかが普通に落ちているのはそういう世界にシミュレートされたからと解釈できるし、ナツノの世界と外の世界の時間の流れが違うのはシミュレーションだからだろう。
いろいろな謎があったが、PCの中の世界というだけでなんでもそれを理由にできている気がする。
ゲーム中の「再生」やゲームを進める度に増えていくフォルダのような再生リストはナツノの世界がPCの世界でシミュレーションのログが増えていくようなものなのだろうなと思った。
作中のことは全て偶然と片付けてもいいのかもしれないけれど、作中にでできたキャラが変容していなかった理由は何かあるのかなと想像したくなってくる。ナツノの世界はあなたの世界とさみしさに対する認識が違うとあって、さみしさが変容のトリガーとされていた。となれば、自らのさみしさを埋める何かがあったから変容が遅れていたのかなと思った。
キコは愛犬がいたからさみしくなかった。登場時は愛犬がいなかったが、愛犬にまた会えるかもしれないという希望があったから、さみしさはそこまでではなかったかもしれない。最後、愛犬ともう会えないと分かってナツノと別れた彼女は変容が始まっていたのかもしれないし、変容してしまうと分かっていたのかもしれない。
シノは故郷を気にしていた。故郷には何もないかもしれないが懐かしい人々がいるかもしれない。その人たちに会えればさみしさは感じづらくなるし、会えるかもしれないという期待がさみしさに対して鈍感にしてくれていたと思う。
メグルはひたすらに絵を描いている。明確な目的があるからこそ、さみしさを感じずに生きているのかもしれない。
ミナモはさみしさとは無縁の生活を送っていながら、苦しみを感じていた少女だ。他人が疎ましいと思うことがあり元々さみしさを感じづらい性格だったから変容していないのかもしれない。
ヒナセは本で知識を蓄える生活を送っていた。ひとりの時間に慣れていて、だから変容していないのかもしれない。バイク旅をして今までとは全く違う生活を謳歌しているからさみしさを感じていないとも考えられる。忘れている何か、これはどう関係しているのだろうか。
イツカは祖母に焦がれていて謎を解きたいと思っているからこそ変容していないし、変容していしまっているからこそ今の状態で悪化していないだけどもとれる。
アカネはどうなのだろう。研究や仲間があったからさみしくなかった?仲間がいなくなって謎解きが捗らなくなって、さみしさを感じるようになって変容が進んだのだろうか。
ナツノもイツカと同じように変容してしまってあなたと繋がるようになったからこそ悪化していないだけなのかもしれない。あなたと繋がることができたから、今の状況にいるのだろう。でも、それまでは?あなたと繋がるために、あなたを探すために、留まることなく意味もなく北に向かっていたのだろうか。
さみしくて誰かと繋がっていたい、けど偶然で作られた意味のない世界を消してしまいたいという二律背反のような感情を抱えるなか、それでもさみしさを抱えながら偶然に何かの意味を見出して生きていきたいという結論を出して、旅は続いてくエンディングだったが、結局ナツノの世界は何一つ問題が解決していない。この結末は何時決まったのだろうかと気になった。
このゲームは何から始まったのか、前述のエンディングという結論か?別の世界の少女と繋がるというコンセプトか?テキストを打ってコミュニケーションをとりながら探索を行うゲーム性か?
崩壊世界系の作品にはこういった結末がありがちなだけなのか?
特徴というギミックはなんだ?何か意味があったのか?
ナツノの世界の状況が始まりから終わりまで何も変わっていないところや、ゲーム面での可能性というか余力から気になってしまった。