眼鏡屋さん

見る、観る、視る、診る、看る。
全て、読みは「みる」
「霊視る」と書いて「みえる」と読むのはガリレオのサブタイトルであるが、それはあまり関係ない。

私は、ここ5、6年くらい最強眼鏡屋さんにお世話になっている。
その眼鏡屋さんは、随分前にテレビか何かの媒体で紹介されていたので知った。
それからまたしばらく置いて、ふと思い出した折にインターネットで調べて予約したが、半年待ちと言われた。
その上、一度寝坊して約束をすっ飛ばして、めっちゃ謝って予約を取り直したため、普通に一年待ちの眼鏡作りになった。

念願叶って赴いた眼鏡屋さんは、やはりそこら辺の眼鏡屋とは一線を画していた。
まず視力検査の段階で「目が牛になっている」と言われた。
牛乳の飲み過ぎだ」と。
牛乳っていうのは、本来子牛を育てるためのものだ」と。
いきなりで何を言われているのか解らなかった。
牛乳って飲みすぎると牛になるのか…?
しかし、その時私は乳製品に対する想いが人並み以上にあって、何も反論出来なかった。おうし座だし。
その他にも色々言われた気がするが、が衝撃的過ぎてあまり覚えていない。

そうして視力検査を終えて、フレームまで選び終わっても全然帰れなかった。
フィッティングにも余裕で30分くらいかかった。
内村航平跳馬の時みたいなやつでフィッティングしてくれた。

その後に目の使い方も説明してくれた。
眼鏡の使い方じゃなくて、目の使い方だ。
その時に「みる」という行為の本質を教えられた。
いくら良い眼鏡を使っていようと、上手に「みる」事ができないと意味がないらしい。
考えたこともなかった。自分が自分の目を上手に使えているかなんて。
でも決して安くない金額と、一年という期間を経て辿り着いた眼鏡屋さんだというのもあるのだろうが、私は「成る程ね」と思った。
そして、バガボンドみたいだな。と思った。



貴方の目は果たして、物体を捉えていますか。
になっていませんか。
本当に みえていますか

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