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こんなにがんばったのにとは言わない

欲しい人はずっと欲しい。それにはキリがなくて欲しいものがふえるだけ。

こんなにがんばったのに認められていないと不満をいう人は、きっと認めても認めても満足しなくて、前よりもがんばったらもっともっと認めてほしくなるだろう。

「私はこんなにあなたのことが好きなのに」という相手を好きにはなれない。
それはそれ(で感謝はしても)これはこれである。

がんばったことに対して本当の意味で評価をしてくれるのは親や恋人やほんの少しの友人と、自分だけだ。

認めるか認めないかは、他人の領域だから自分でコントロールができない。自分の力でコントロールができないことに悩むのは時間の無駄だし、残念なことにコントロールしようとすればするほどコントロールできないものである。

そしてがんばったことを評価して欲しいということはアマチュアな自分を認める行為でもある。

でも、世の中には理不尽なこともあって、

(脈がありそうなそぶりをされたから)すきになってしまったり、(あなたのためを思ってやってあげたのに)当然のように受け取られてつらかったり、(貢献しているつもりだったのに)従業員をただの駒のように使う会社だったり、(信頼関係を築いていたはずなのに)裏切られたり、(チームの一員だと思っていたのに)その他大勢と思われていただけだったりすることもある。

でもきっとその人を認めさせるのは難しい。人が変わるのは自分で変わろうと思ったときだけだから。

だから限界がきたらそこから離れるしかないのだと思う。

自分のがんばりが認められると感じられるところは他にあるはずだから。

人生をかけて戦うことは自分ががんばったことを認めさせる戦いではないと私は思うのです。

戦うのなら人のために!

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