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祖父の死にあたって

祖父が死んだ。

台風の日だった。

もともと愉快な人で、保健所で犬を殺す仕事に嫌気がさし、バスの運転手をしていた。定年後は自宅で野菜やブルーベリーを育てたり、知人に会いに行ったり、一人でも社交的に過ごしていたようだった。

祖母はいない。

私が生まれる一月前に死んだ。旅行先で大型トラックに突っ込まれ、即死だったそう。
私は祖母に会ったことがない。

私の知る祖父は気の良い老人であった。

会うたびにニコニコと様々な場所に連れて行ってくれる祖父。私が本を欲しがると嬉しがり、書物だけは全て買ってくれた祖父。欲しい本のタイトルを口頭で言っても覚えられず、FAXで送ってくれと頼む祖父。本のページに母に分からないようにお小遣いを挟んで送ってくれる祖父。本と一緒に地元の銘菓を沢山送ってくれる祖父。私が余りにも本をねだるので、本屋さんの店長と連絡先を交換してしまった祖父。子どもには分からない、お線香のような香りがする祖父。

あれは一体何の香りであったのだろうか。
今はもう知る術はない。

私の部屋には、祖父から貰った本が今でも大量に置かれている。これは一種の呪いだ。

本を見るたびに祖父を思い出し、あの香りに想いを馳せる。香りだけじゃない。祖父との思い出が頭の中を輪転する。蛇皮の財布の中には、金のカケラが入っていて、しばしば見せてもらった。田舎だからと規制速度60キロの道路で120キロを出していた。家の階段にはハリセンボンの剥製が吊るしてあり、針を折ったことがある。オルゴールのついた時計が大好きで、剥き出しの時計針を指でくるくる回したこともあった。ウェットスーツを家から来て、海に行ったこともあった。風が強くてウミネコが真っ直ぐ飛べないのを見て、声を出して笑った。

愉快な祖父だった。
お酒がダメで甘味を好いていた。

どのシーンを想起しても、祖父の香りがそこにある。この香りを言語化出来ないことがもどかしい。

私の記憶の中でこそ愉快な老人であった祖父だが、最期はそうでなかったらしい。
ボケが入り、横暴になり、金をせびる。施設にいるのに脱走を試みたり、人工透析の前の食事制限を守らず叱られ、尚悪びれない。お金の管理などとうの昔に出来なくなっていた。息子からの月2万のお小遣いをそっくりそのまま失くす。まだあの財布を使えていたのだろうか。

私の知る祖父は当時もう既に居なかったのであろう。

祖父の訃報が入った台風の日の昼下がり、私はまだ泣いていない。母は脂汗がすごいと言い、何度もシャワーを浴びている。

長らくあっておらず、実感がわかない。
電話の際に会話が成り立たないのを気づいていた。死が近い人の気配を感じた。怖かった。涙が出てきた。泣きながら、泣いていることが悟られないように会話を続けた。「体調には気をつけて」何度も言われた。「おじいちゃんもね」何度も返した。こっちのセリフだ、バカ

電話が終わった後、母に何故泣いたのか訊かれた。実の娘に死の気配なんて言えず、適当に誤魔化したのを覚えている。

母は言った。「おじいちゃん、もう普通じゃないから、話、合わせてあげてね」

恐らくその日、私の中で祖父は死んだ。

私はしばしばその気がある。
死の気配を感じて泣いてしまうことは、私に取っては自然なことだ。自分の記憶の中と変わってしまったら、それは心の死だ。死のあとすぐ生まれ変わる。生まれ変わったら皆はじめましてだ。肉体の死とは定義が違う。

明日、祖父の亡骸は天に昇る。

祖父の住む町では、亡くなった人を布団に寝かせ、知人が巡り巡りお線香を供えに来る風習がある。私はまだ祖父に会えていない。

あの香りはまだ祖父からしているのだろうか。長く続いた施設暮らしで無くなってしまっただろうか。心は死に生まれ変わっても、祖父の匂いは失われないのだろうか。

いつか、明日かもしれないけど、また何処かであの香りに出会えたら、私はその時こそ泣いてしまうだろう。


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