わたしが東東京から離れるまで(3)

ユーコトピアの思い出

わたしは高校生の頃、軽音部に入部してバンドを組んでいた。3歳から18歳までエレクトーンを習っていて、中学校では吹奏楽部で、ずっと音楽に触れていたので高校でも音楽をやるのはごく自然なことだった。軽音部に入部したのは吹奏楽部よりもカッコよさそうだと思ったから。パートはドラム、ときどきベースも弾いてみたり。本気でプロを目指そうとか、音楽で食べていこうとかそういう気持ちはなくて、気の許せる友達と音楽をしているのがただただ楽しかった。

そんな楽しい高校生活も終わりの時を迎え、軽音部では毎年恒例の卒業ライブを行うこととなった。卒業ライブの会場はいつもの音楽室ではなくライブハウスだった。卒業ライブの会場となるライブハウスは梅島ユーコトピアというライブハウスで、知る人ぞ知るそこそこ有名なところである。バンド活動は楽しかったけど、学外で対バンとかするような感じではなかった自分にとっては、学校に行くより近くてラッキー☆という軽い気持ちであった。

卒業ライブでは3バンドに参加した。そのうちの1バンドでは卒業ライブでのトップバッターを務めた。バンド名は「42.195km でぽん」(以下、ぽん)。バンド名は「◯◯でぽん」と、その時々で◯◯の部分が流動的に変わり、メンバーもその時々で違かった。わたしは卒業ライブの時にはじめてぽんに参加した。カッコイイ言い方をすればゲストミュージシャン的なポジションである。パートは普段とは違いボーカルとリコーダーだった。

こんなことを言うと本気で歌っている人に申し訳ないのだが、正直ボーカルは何をすればいいかわからなかった。とりあえずこの日の1曲目はマラソンの高橋尚子選手がオリンピックのレース前に聴いていたことでも有名なhitomiの「LOVE2000」だったので、ボーカル4人(ボーカルは4人体制だった)の衣装は高校指定のジャージで揃えた。さらに、歌詞を忘れないように体操着に歌詞を書いた。もうそれ以上の準備がなく、手持ち無沙汰だったので、とりあえずライブハウスの周辺を走った。

そんな感じで卒業ライブが開演する時間になった。LOVE2000のイントロの演奏がはじまった。ボーカル4人衆が客席から走ってきてステージに駆け上がり、LOVE2000をステージで走りながら歌った。次の曲では叫び、更に次の曲では曲の合間にリコーダーのユニゾンと、もう先輩後輩同級生みんなドン引きというかあっけにとられていた。でもそれが心地よくて、もっとやってやれ!と心の中で思っていた。なにもかもぶち壊すことの気持ちよさよ。あぁ、この時間がずっと続けばいいのに。卒業なんかしたくないんだ、大人になんかなりたくないんだ!!わたしたちの出演が終わったあとは、わたしたちのことがなかったかのように、カッコイイライブがスタートした。

先日、といってももう1年前になるのか。本屋で見かけた雑誌「散歩の達人」が北千住特集だったので、思わず買ってしまった。パラパラと読んでて、オーケンの連載に梅島ユーコトピアのことが載っていたいので、ふと懐かしくなり、いろいろと思い出してしまった。

今はもう歳を重ねたせいもあり、高校生の頃よりだいぶうまく生きているように思う。でもやっぱり、それが時々ストレスになるのだろうか。ユーコトピアのライブの時のように、なにもかも壊したくなる時がある。でもそれは破滅的な壊し方ではないんだろうな。楽しく、誰も傷つけないような、キラキラした、壊し方。壊しているけどとてもいきいきしている。まさにユーコトピアにあったユートピア。そういう自分がこれから先も生きていくなかでいなくならないように、とりあえず今からジャージで家の近所を走ってくるわ。

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