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心の汚れとは 中部#7 布経 読了

2023/05/15 に 中部#7 布経 Vatthasuttaṃ を読了しました。

お釈迦様が「布 (vattha) の例え」を使って心の汚れについて解説されています。

染め物師が、汚れた布を使って染めても、色の悪いものにしかならない。しかし、清潔で純白の布を使って染めれば、色のよく染まったものになる。

そのように、心が汚れていれば、悪道 (duggati) が予期され、心が汚れていなければ、善道 (sugati) が予期される。

心の汚れとは

心の汚れとは何かについては、以下のような形式のパーリ文で説明されています。

〜 cittassa upakkileso
〜は心の汚れです。

M. N. I 36
  • citta n. 心

    • cittassa n. sg. gen. 心の

  • upakkilesa m. 随煩悩, 小煩悩, 随染, 垢穢, 錆

    • upakkileso m. sg. nom.

パーリ語釈: 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)

心の汚れとしては、以下のものが挙げられています。

  • 貪欲と邪貪

  • 瞋恚しんい

  • 忿怒

  • 恨み

  • 被覆 (makkha, 悪の覆蔵; 悪意)

  • 悩害

  • 嫉妬

  • 吝嗇りんしょく (macchariya, 物惜しみ)

  • へつら

  • たぶらかし

  • 強情

  • 傲慢

  • 慢心

  • 過慢

  • 陶酔 (mada, 憍慢きょうまん, おごり)

  • 放逸

心の汚れを断った比丘の解脱

後は次のような流れで、心の汚れを断った比丘の解脱までが説かれます。

比丘は〈〜は心の汚れである〉と知り、〜を心の汚れとして断つ。
そのとき、仏・法・僧に対して絶対的な信仰 (aveccappasāda) をそなえる。(仏・法・僧の徳。)。〈私には仏・法・僧に対して絶対的な信仰がそなわっている〉と、義の悦び (atthaveda) を得る。仏・法・僧の悦び、仏・法・僧を伴った満足を得る。満足から喜びが生じる。喜ぶ比丘の身が軽快になる。軽快になった身が楽を感じる。楽のある心は統一される。(中略) 四方を慈悲喜捨の心を持って満たして住む。(中略) 欲・生存・無明の煩悩から心が解脱する。(中略)
これが「内心の洗浄によって洗われている比丘である」と言われる。

河での沐浴では悪業は清まらない

最後に、あるバラモンが「バーフカー河へ沐浴へ行かれますか」と、お釈迦様に問いかけます。それに対して「愚者は色々な河に飛び込むが、黒い業は清まらない。ここで(心を)洗いなさい。」という内容の偈文で答えます。その後、そのバラモンは、仏法僧に帰依し、出家して、怠ることなく、熱心に自ら励み、阿羅漢の一人になった、ということです。

参考訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)

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