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善法に対して心を起こして煩悩を削減すべし 中部#8 削減経 読了

2023/05/21 に 中部#8 削減経 Sallekhasuttaṃ を読了しました。

お釈迦様が煩悩の削減(sallekha)について解説しています。マハーチュンダ尊者(Mahācunda)との問答です。

如実に見る者は種々の見解を断つ

「我説、世界説など種々の見解(diṭṭhi)があるが、初めだけを(ādimeva)思惟する比丘はこれらの見解を断つことができるか。」とマハーチュンダ尊者は問います。(補註より: ādim eva. 〈預流道の観を含む最初の思惟だけを〉)

お釈迦様は次のように答えます。

これらの見解があるところでも、潜在するところでも、行われるところでも、〈これは私のものではない〉、〈これは私ではない〉、〈これは私の我ではない〉と、このことを如実に正しい慧をもって見る者には、このようにしてこれらの見解は断たれます。

パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良
第8 削減経
p. 122

第一禅〜第四禅(色界禅)に達して住む比丘は〈私は削減して住んでいる〉と思うだろう。しかし、聖者の律において、これらは削減ではなく、現世の楽住(diṭṭhadhammasukhavihārā)と言われる。

空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処(無色界禅)に達して住む比丘は〈私は削減して住んでいる〉と思うだろう。しかし、聖者の律において、これらは削減ではなく、寂静住(santā vihārā)と言われる。
(底本の違いによるものか、片山訳では色界禅と同様に「現世の楽住」と訳されている。)

不善法の削減を行うべき

〈他の者たちはAになるかもしれない。しかしわれわれは、ここにBになろう〉と削減を行うべきです。

上記の形式で、削減を行うべきと説かれます。Aには不善を行う者、Bには善を行う者が入ります。以下の44項目が挙げられています。

  • 害する者、害しない者

  • 殺生する者、殺生を離れる者

  • 与えられていないものを取る者、与えられていないものを取ることから離れる者

  • 非梵行者、梵行者

  • 妄語の者、妄語を離れる者

  • 両舌の者、両舌を離れる者

  • 悪口あっくの者、悪口を離れる者

  • 綺語きごの者、綺語を離れる者

  • 貪求の者、貪求のない者

  • 瞋恚の心がある者、瞋恚のない者

  • 邪見の者、正見の者

  • 邪思の者、正思の者 (邪思惟, 正思惟)

  • 邪語の者、正語の者

  • 邪業の者、正業の者

  • 邪命の者、正命の者

  • 邪精進の者、正精進の者

  • 邪念の者、正念の者

  • 邪定の者、正定の者

  • 邪智の者、正智の者

  • 邪解脱の者、正解脱の者

  • 沈鬱・眠気に纏いつかれた者、沈鬱・眠気を離れた者 (惛沈こんちん・睡眠)

  • 浮つきのある者、浮つきのない者 (掉挙じょうこ)

  • 疑いのある者、疑いを超越する者

  • 忿怒のある者、忿怒のない者

  • 恨みのある者、恨みのない者

  • 被覆のある者、被覆のない者

  • 悩害のある者、悩害のない者

  • 嫉妬のある者、嫉妬のない者

  • 吝嗇りんしょくのある者、吝嗇のない者

  • たぶらかしのある者、誑かしのない者

  • へつらいのある者、諂いのない者

  • 強情の者、強情のない者

  • 過慢の者、過慢のない者

  • 悪言の者、善言の者

  • 悪友、善友

  • 放逸の者、放逸のない者

  • 信のない者、信のあるもの

  • ざんのない者、慚のある者

  • のない者、愧のある者

  • 聞のない者、聞のある者

  • 怠惰の者、精進に努める者

  • 失念の者、念が現前している者

  • 慧のない者、慧をそなえている者

  • 自己の見解に執し、固く捉え、捨て難い者、自己の見解に執しない、固く捉えない、捨て易い者

善法に対して心を起こすべき

〈他の者たちはAになるかもしれない。しかしわれわれは、ここにBになろう〉と心を起こすべきです。

片山訳より抜粋
p. 130

もろもろの善法に対して心を起こすことは益の多いこととして、上記の形式で「心を起こすこと」が説かれます。AとBには先述の44項目が適用されます。

善法が回避・向上・涅槃のためになる

不善を行う者にとって善法が回避・向上・涅槃のためになると説かれます。善法は先述の44項目に対応するものです。

以下の形式で善法が回避(parikkamana)のためになると説かれます。
(例え: 悪い道を回避するために別の良い道があるように。)

害する人にとって、不害が回避のためになります。

p. 122

以下の形式で善法が向上(uparibhāga もしくは uparibhāva)のためになると説かれます。

害する人にとって、不害が向上のためになります。

p. 134

以下の形式で善法が涅槃(parinibbāna)のためになると説かれます。
parinibbāna n. 般涅槃, 円寂, 完全涅槃

害する人にとって、不害が涅槃のためになります。

p. 135

お釈迦様はこれらの法門を弟子たちの利益を願い、憐れみの心をもって行ったと告げます。「これらの樹下・空家がある。瞑想しなさい(jhāyatha)、怠ってはいけない、後悔があってはいけない。」これが、あなたたちに対するわれわれの訓誡である、とのことです。
jhāyati v. 静慮する, 禅定をなす, 思念する

まとめ

不善を行う者にとって、善法は回避・向上・涅槃のためになる。もろもろの善法に対して心を起こし、不善法の削減を行うべきである。

パーリ文: tipitaka.org

参考訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)

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