着々寸進、洋々万里 自民党総裁選の雑感
まずは先日投稿したこちらの記事に、旬を過ぎた後にもかかわらず、予想以上の反応を頂きありがとうございました。
2回続けて政治の話になって恐縮だが、この数週間、自民党総裁選を追っていた身として書かない訳には行かないので記事を書かせていただく(本当はもっと雑多なアカウントにしたいのだが)。前回ほどリサーチを重ねた濃い内容のものは書けないかもしれないが、まさしく一素人の「雑感」として読んでいただけると嬉しく思う。
はじめに
本文を書き始める前に、私の立場とこの記事の構成について軽く述べておく。
私の立場
私は現在20歳、台湾の国立大学に在籍する大学生だ(休学中なので日本にいる)。
家族は無党派層、私自身は自民党やや支持。
非自民党員で、また他のどの政党・政治団体の構成員でもない。
政治思想は、日本語版8valuesでの診断結果の通り、中道を自認している。
おそらく3~4年ほど前までは、反安倍・護憲・反自民と左寄りだった。しかしロシアによるウクライナ侵攻以降、また自分が一年の2/3を台湾で暮らしているのもあり、特に外交安保に関して「そんな綺麗事言ってられないよね」との思いが強まり、段々と真ん中に矯正されて言ったという記憶がある。
今回の自民党総裁選に関しては、残念ながら投票権はなかったものの応援する候補が一人いた。林芳正・現官房長官である。
ざっとこんなところだろう。
本文の構成
今回の総裁選はあまりにも長く、そして候補者が多かった。なのでこの記事で候補者の一人一人や、その一挙手一投足、各イベントの一つ一つについて説明することはしない。なので主に私が追っていた林芳正陣営について、少し分析してみようと思う。ついてはざっと、この3テーマに分けて書いていきたい。
影の勝者、林芳正
カギは「ギャップ萌え」?
いつか王手をかける日まで
なお、前述のように私は林支持者なので、彼に対しては少なからず贔屓目に見ている節があるだろう。必ずしも公平な分析ではないという点、ご理解頂きたい。
影の勝者、林芳正
支持率1%から4位への躍進
結果落選こそすれど、林芳正(以下敬称略)がこの総裁選の影の勝者と言って過言ではないだろう。
結果が伴わず「オワコン」と言われてしまった者、年齢的に最後の挑戦だった者、ヴェールで隠していた弱みが露呈してしまった者――どれが誰だとかいちいち言及はしないが、そんな中で林芳正はほぼ無失点で、それどころか当初よりもだいぶ株を上げてこの15日間を戦い抜いたというのは、総裁選ウォッチャーの間では概ね同意するところだと思う。
最終的な結果は、皆さんも既にご存知の通り。以下のグラフは時事通信ニュースからの引用。
林芳正の得票数は小泉進次郎に次ぐ4位。言い方は悪いが、「三強」を除けば一番多いことになる。実は投開票前夜の私の予想では、コバホークに比べて刷新感に欠ける林は5位に落ち着くだろうという見立てだった。それが蓋を開ければコバホークを抑えて4位。選挙は最後までどうなるか分からないという、プチ・ミラクルを目の当たりにした気分だった。
しかし当初、林芳正はこの総裁選において、ほぼ泡沫候補のような扱いだった。
なぜ、現職官房長官なのにここまで注目度が低いのか。その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かった――。彼の場合、後述の悪質なデマこそあれど、世論調査に影響を及ぼすレベルで嫌われまくっているということは考えにくい。これは私が親バカならぬオタクバカで言っているのではなく、京都市の松井市長や群馬県の山本一太知事、さらには何故か田中真紀子元外相まで、彼をよく知る人々から高く評価されているゆえの判断だ。優秀な上に謙虚な人柄で官僚からの評価も高いと聞く。
今まではその魅力が国民にまで十分伝わっていないいなかった。林をそこまで知らない人にとってはやはり官房長官会見の仏頂面が彼のイメージなのかもしれない。実際に、「やる気がなさそう」「偉そう」というコメントも見た事がある。
官房長官というのは政権の重要ポストではあるが、つくづく損な役回りだと思う。危機管理の要であるから、基本的に官邸から30分圏内にいなければならないので、地元に帰って有権者と交流する機会がほぼない。そしていざ災害や何かしらのアクシデントがあったら、24時間365日、何時でもすぐに官邸に駆けつけなければならないのだ。更には毎日の記者会見では感情を押し殺して淡々と、且つ寸分の狂いもなく政府見解を述べることが求められる。政府見解との矛盾を生じさせてはいけないため、個人的な意見を言うことも難しい。要は個性を出せない役職だ。ゆえに菅義偉元首相ほど長期にわたって在任しない限り、人々の印象にも残りづらいだろう(加藤元官房長官、松野前官房長官があまりお茶の間に定着しなかったように)。
しかし林は、今回の総裁選で見事にその印象を覆した。このイメチェンについては次章で後述するが、この戦いは、彼の人柄、そして能力を世間にしらしめるいい機会だったのだと思う。
「仁」の意趣返しに唸ったワケ
出馬会見のあった9月3日。林芳正のTwitterが突如更新された。アイコン、プロフィール、ヘッダーも一新。
目を引くのは「人にやさしい政治。」のキャッチフレーズ。林さんらしいなあと言うのが感想だった。
そして、それより注目すべきはカタカナ表記の「ヨシマサ」だろう。覚えてもらいやすいようにと、ポスターなどに名前の一部をひらがなで表記する政治家は多い(石破しげる、あべ晋三など)。林芳正も以前は「林よしまさ」と表記していたものだが、ここに来て急にカタカナ表記に方向転換した。確かにネット上で「ヨシマサ」と呼ぶ向きはあったが、なぜ公式がそれを採用したのだろうと不思議に思っていたところ、とあるFFさんがこんなことを言っていた。「リンホウセイ対策じゃない?」
リンホウセイというのは林芳正の漢字を音読みにした蔑称だ。ちょうど中華圏にも「林」姓があるからと、林芳正をそう読んで媚中派、更には中国人だと揶揄する層が一定数いる。過去に日中友好議連の会長をしていたこともあり、親中派だという見方もされているが、本人はあくまで「知中派」を自認する。
この話題にはあまり触れたくないのだが、事前知識として簡単に事のあらましを書いておくことにしよう。全ての発端はこのツイートだ。
安倍元首相が無くなってから1ヶ月後に突如発せられたツイート。それすらも疑わしいが、死人に口なしで本当に安倍さんがそんなことを言った証拠はなく、また疑惑そのものを裏づける証拠も出てこない。彼がなんの意図を持って呟いたのかは謎だが、このハニトラ疑惑、もといデマは、ネット上で瞬く間に燃え広がった。猥雑な性スキャンダルはインパクトが大きいので拡散されやすい。この炎上に乗っかった某時事系YouTuberが、林を非難するために作った蔑称が「リンホウセイ」という訳だ。
このデマも含めた様々な情報のファクトチェックをされているPULPさんという方の記事を引用させていただいて、一度この話題は終わりにしよう。
さて、期待と不安を抱いて、こちらまで緊張しながら今か今かと待っていた出馬会見。
人にやさしい政治を掲げ、落ち着いた口調で「三つの安心」と題した基本政策を説明する林芳正候補。
会見の締めくくりで掲げたのは、「仁」の一文字 。
「そう来たか、ヨシマサ!」
私は思った。なんとウィットに富んだ意趣返しだろう。いわれのない誹謗中傷に対する、最も上品かつエスプリの効いた、林芳正らしいアンサーだと。「仁」とは人を思いやる慈愛の精神を意味し、おそらく皆様もご存知中国思想・儒教における五常(仁、義、礼、智、信)の一つ。五常とは、人の守るべき五つの恒常不変の真理、人間関係の基本だ。そして孔子によれば、この「仁」こそが最高の道徳であるという。
これだけ「親中・媚中」と批判されながら、中国思想の真髄を根幹に据えた林芳正。中国のことをちっとも知らず、頭ごなしに暴言を連発する人たちへの最高の皮肉だろう。中国古典にも造形が深い彼にしか打ち出せないスローガンだ。批判を受けて萎縮するつもりなんか毛頭なく、むしろ自分の信じるやり方を貫いてやるという気概すら感じられる。
そこに彼の見識の深さと、本物の「知中」を見た気がした。
切り取られたマイナ保険証騒動
この総裁選の論戦を通してほぼ無失点だった林だが、支持率にはそこまで響かなかったものの危うかった話が一つあるとすれば、このマイナ保険証を巡る論争だろう。と言っても話の本筋では無いので、ここで軽く触れる程度にしておく。日経新聞によると、
また、時事通信の報道では、
これらの発言は、林本人の意向とは別の解釈で報道された。ざっくり言えば「林芳正は保険証廃止時期を延期しようとしている」といった誤解だ。本人はあくまで、「国民の不安を払拭した上で移行すべきだ」としか言っていないのだが、本人の言葉ではなく記者の質問が見出しになってしまった。
同じ事が小泉進次郎候補の「解雇規制」論争でも起こり、彼は誤解の解消に労力を費やすことを余儀なくされた。
マスメディアは第4の権力とも言われ、世論の醸成に大きな影響力を持つ。しかも困った事に、彼らの発信は必ずしも公平公正な報道とは言えない。この現状を批判したい気持ちも山々だが、メディアとて人間が集まり構成するものなのだから、多少偏るのは仕方の無いことだろう。彼らに都合良く切り抜かれないように気を配って発言する事が、政治家には求められている。
カギは「ギャップ萌え」?
フランク路線は大当たり
ところで、林芳正はこの総裁選期間中、かなりイメチェンを図ったように思う。
政府公式の報道官でもある官房長官は、仕事柄あまり個性を表に出せない。定例会見での仏頂面は本人も自覚があるようで、Youtubeチャンネル「魚屋のおっちゃんネル」の生配信番組、「木原・平の地上波いらず」に出演した際にも自ら言及していた。
この日、魚屋チャンネルの前にあったAbema primeの収録でもその事に言及していた記憶がある。序盤、支持率が伸び悩んでいたのはおそらく「林芳正=堅物でとらえどころがない人」という先入観があったからだろう。
ここで、2枚の画像を見ていただきたい。
まずは定例会見に臨む林官房長官の写真。
続いて、総裁選期間中に撮影された写真。
やはり笑顔は大事。同じ人物でもしかめっ面と満面の笑みとでは、全く違った印象を与える。それに元々丸顔の林だ。笑うとかなり愛嬌のある感じになって、一気に親近感が湧く。
テレビや演説会での話し方にも様々な工夫が見て取れた。この選挙戦を通して、私もできる限り候補者の出演する番組や演説会を追いかけてきたが、その中で気づいたことの一つが「ユーモア」だ。いくつかご紹介しよう。
※おそらく2024年9月15日放送の「日曜報道THE PRIME」冒頭の、候補者紹介文かと思われる
まだまだ沢山あるのだが、手っ取り早く引っ張ってこれたのはこのくらいだ。
それこそ定例会見での堅物っぷりからは想像がつかないくらい、果敢に笑いを取りに行っている。もしや「一回の演説会で必ず一つ冗談を言う」というノルマを自分自身に課しているのではないかと思うほどに。しかも、これが結構ウケているのだ。
林芳正に関する動画を漁りまくっている私は、林が冗談をよく言う人だと知っていたのでそこまでの驚きはなかったが、おそらく彼をよく知らない人からしたら結構なギャップがあったと思う。
「人にやさしい政治。」を掲げる林らしい誰一人傷つけないジョーク。それをあの屈託ない笑顔で言うわけだから、そりゃ好感度上がるよねという話である。下品にならない絶妙なラインを攻める所も素晴らしい。
「四角四面かと思いきや、意外と面白おじさんだよね」という事で、まず一つギャップ萌えが生まれたのだろう。
しかし、ただの面白おじさんでは終わらないのが林芳正である。要はソフトとハード、両輪で攻めるということだ。
漫画とかでよくあるじゃないですか、ヘラヘラしてると思いきやいざと言う時に超有能なキャラ。別に林がヘラヘラしている訳ではないが、多分それに近い印象を与えたのだと思う。
豊富な経験と実務能力に裏打ちされた「政策」――これこそ、林芳正の伝家の宝刀。
FLASHによると、これまでに提出した議員立法の数は、全候補者の中で一位の16本。政策通の異名も伊達じゃない。
ここに書かれたもの以外に一つ例を挙げるとすれば、自民党の知的財産戦略調査会の事務局長として、映画盗撮防止法の成立にも寄与した。あの有名な「NO MORE映画泥棒」はそれに伴って制作されたコマーシャルである。
総裁選に立候補した時点で防衛、経済財政、農水、文科、外務、官房など7回の入閣経験がある林は、ほぼ全ての分野に精通するオールラウンダー。
全国各地を回る地方遊説では、その無敵っぷりを遺憾なく発揮した。例えば、鳥取では参院合区、和歌山では農林水産、石川・福島では復興、沖縄では基地問題、大阪ではコンテンツと万博etc…。
この引き出しの多さが林芳正の強みだ。ウィットに富んだジョークを混じえつつ、演説や論戦では中身のある有意義な話が出来る。
どなたかがTwitterで「四角い話を丸くする天才だ」と評していたが、全くその通りだと思う。よく「本当に頭のいい人は難しい言葉を使わず、簡単な言葉でわかりやすく話す」と言われるが、この説の正否はともかく、林芳正はまさしくそういう人間。
林は東大法学部卒で最終学歴はハーバード大のMPA(公共経営修士専門職)と、絵に描いたようなエリート街道を突き進んできた。しかし彼はいつも謙虚で、話を聞くとインテリ特有の嫌味な感じ、近寄り難い雰囲気がない。
「堅物かと思いきや→意外とフランク→でもやっぱり優秀」という、三段構えのギャップ萌えと言えるだろう。
もっと音楽をゴリ押すべし
林芳正と言えば音楽。音楽といえば林芳正。
外務大臣に着任早々、G7外相会合の開催地リバプールでは、ビートルズの「イマジン」を即興演奏するという、華麗な外交デビューを飾った。
政治クラスタの間では言わずと知れた自民党の国会議員らによる音楽バンド「Gi!nz(ギインズ)」のバンドマスターでもあり、ギターの腕はプロ並みだという。ちなみに筆者はまだアルバムを入手できていない。その理由がこちら。
ギインズのバンド活動で得た売り上げは、骨髄バンクに寄付されている。これは若かりし日の林芳正と、立ち上げメンバーの山本一太(最初、この2人で始めた活動)が、自民党の大物議員に
「ロックンロールってのは反体制だろう。君たちは議員なんだから、体制側が反体制とは何事か」
と怒られ(?)、「じゃあ社会福祉的な意義のある活動にしよう」という結論に落ち着いたらしい。
探せば転売された物は沢山出てくる。しかし、やはり定価に比べてかなり値が張るのと、ギインズの売り上げにはならないことがあり購入には至っていない。どうせなら彼らの福祉の理念に則り、アルバム代に寄付の思いも込めたいという考えの元だ。いつかまた入荷されないかなあと気長に待っている。
またギインズ関係なしに、林は様々なイベントに呼ばれては、即興で一、二曲演奏することがよくある。前述の通りギターやベース、ピアノが演奏でき、また歌もかなり上手い。小学校に上がるまでピアノを習い、上がってからはヴァイオリンを習い、中学の時にビートルズと出会ってからはバンド活動に精を出す。そして大学時代は合唱部に所属する傍ら、オーケストラの指揮者を務めていたと言う。まさに、彼にとって音楽とは人生の一部なのだ。
にもかかわらず、このことはあまり世間一般に知られていないらしい。テレビでは毎回意外な一面として紹介されるし、Twitterでも林の音楽事情は「知らなかった!」という意外性でバズっている。これは非常にもったいないと思う。
総裁選に伴って配信されたニコニコのインタビューでは、音楽に関する話題を深く掘り下げてくれた。これを聞いて驚いたのが、林の守備範囲の広さ。
これより後でKing Gnuにも言及していたのだが、てっきり最近の曲はほとんど知らないだろうと思い込んでいただけに、林の口から「YOASOBI」「ヨルシカ」という名前が出たのは意外だった。ちなみに、名前こそ出なかったがキタニタツヤのことも知っているようだった。さらにこの前段でも、
この部分に関しては適当に相槌を打っていただけの可能性も否定できないが、もし本当ならボカロ曲まで把握しているということになる。
「凄まじいな」というのが正直な感想だ。確かに我々世代のアーティストも聴いている事には親近感を感じたが、しかしそれ以上に、仕事はもちろん趣味に至るまで情報収集に余念がない。懐古に拘らず新しいものを積極的に受け入れ、良いと思ったものは素直に評価する。この柔軟性は、日本の明日を創る政治家に必要な考え方だと思う。
その上で一つ、僭越至極ながら提案したい。
「もっと音楽を発信してはどうか?」
例えば前述の山本一太氏。今は群馬県知事だが、今年ストリートライブを開催したらしい。しかも結構な盛況のようで、彼の周りには人だかりが出来ていた。彼もまた詞を書けるギター弾きで、初代ギインズの「エイシア」という楽曲は彼が作詞したもの。
林も一太も二人とも歌が上手いのだが、違いというとセルフマーケティングをするかどうかという所だ。
一太はことある事に自分から歌い出す。かつて自民党カフェスタで配信していた持ち番組「直滑降ストリーム」でも、ゲストとデュエットしたり、自身の歌コーナーを設けたりしていた。
一方の林は人に頼まれないと歌わない。呼ばれた場所で弾き語りはするが、自ら自分の音楽を発信したりしないのだ。よく言えば謙虚なのだろうが、せっかくプロ並みに磨いた特技なのだから、もっと発信した方が良いと思う。
最近の曲を知っているなら、スキマ時間に練習して、ピアノかギターかで弾いてみたのを縦型のショート動画にしてみるとか、歌ってみるとか、色々方法はあるはずだ。さらなる知名度アップの為には、この音楽の才能を利用しない手はない。
危機対応での「戦線離脱」
はじめに元旦の地震、そして今般の豪雨でお亡くなりになった方々に哀悼の誠を捧げると共に、被害に遭われた方々に心からのお見舞いを申し上げます。
9月21日からおよそ3日間にかけて、能登半島に記録的な豪雨が降り続けた。元旦地震の復興に向けて、少しずつでも歩み出そうとした矢先の出来事だった。10:50、気象庁は石川県の輪島市、珠洲市、能登町に大雨特別警報を発表。23日11:02に全ての警報は解除されたものの、10月4日現在、死者14名、行方不明者1名、床上・床下浸水と全壊家屋を合計した住家被害は1368棟に及ぶ、非常に大きな被害があった。
これを受け、林芳正は総裁選関連の視察を取りやめて急遽官邸に戻り、官房長官として危機対応にあたった。少なくとも以下の記事が投稿された12:47までに、官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置。
その後14:20過ぎに記者団の取材に応じ、その時点での被害状況を発表した。
またこの日の17:13には自身のTwitterを更新。
総裁選を途中離脱し豪雨災害の対応に奔走した林。しかしこの時、さらなる緊急事態が発生した。
ロシア軍哨戒機による領空侵犯である。官邸にいた林も、これを受けて即座に記者会見に応じる。
こうした一連の出来事を受け、21日から23日までの3日間、総裁選日程への参加を見送った。一部日程は推薦人代表の田村憲久氏が代理で出席したが、結果的に自民党選管主催の全3回の公開討論会は、最終日しか参加できなかったことになる。総裁選の候補者としてはかなり不利な状況に置かれたことになる林だが、実はこの件で逆に評価を上げたという指摘もあるのだ。
前述の通り、官房長官は官邸における危機管理の要。いざと言う時には即座に官邸に入り、必要な対応を行うことを求められる。今回も林は官房長官としての職責を最優先に考え即座にこの判断に至ったものだ。まさしくその対応、そして持ち前の抜群の安定感が「有事の時に頼れる、総理にふさわしい政治家」を印象付けたのだろう。
とはいえ、起こってしまった出来事は非常に残念な事だ。被災地の一刻も早い復興をお祈りする。
王手をかける日
次は「高市VS林」か?
冒頭で述べた通り、最終的に27日の投開票で石破茂新総裁が選出され、その三日後に10月1日に第102代内閣総理大臣にも選出された。
過去最多13人が初入閣で、牧原法務大臣、村上総務大臣などのサプライズ(?)人事があった一方、岸田内閣で官房長官を務めた林芳正は引き続き留任。政権を跨いでの官房長官留任は過去に2回しかなく、極めて珍しい事例だという。官房長官としての働きぶりが評価されている林を留まらせることで、岸田路線の継承と手堅さをアピールした形か。村上総相で吹っ飛んだ気もするが……ともあれ嬉しいことだ。不記載問題に伴い、例の如く代打で入った林だが、安定した答弁と調整能力でむしろ「今までで一番適任だったんじゃないか」と思えるくらい堅実に岸田政権を支えた。約2年務めた外務大臣を退任してからたった3ヶ月で再び政権に呼び戻された訳だ。どちらも極めて多忙な仕事なのでそろそろ休んでほしい気持ちも少しあるが、日本はまだ彼を休ませてはくれないようだ。
2期官房長官を務めるということで、いよいよ本格的に「総裁本命候補」の様相を帯びてきた。そうなると、次は高市早苗氏との一騎打ちだろうか?
であれば課題は党員票だ。高市(以下敬称略)は関西圏・都市部・岩盤保守層中心に圧倒的な支持を得て、党員票では石破茂を上回った。林も確かに今回大きく得票を伸ばしたが、国民的知名度を得たかと言うとあと一歩のところだ。官房長官としてメディア露出があるとはいえ、政府見解を説明するスポークスマンというのは中々人柄が伝わりづらい。
この記事を書いている今、衆院の解散総選挙が行われている。林は危機管理のために東京を離れられず自分の選挙区に入る事が出来ない代わりに、都内の選挙区の応援に奔走している。私も林が招かれた個人演説会や街頭演説をいくつか見に行ったが、総裁選でのイメチェン路線は継続するようだ。
私も現地で観ていたのだが、小さい子相手におどけてみせたり、所々でジョークを飛ばして会場を温めたりと砕けた話し方が印象的だった。またこの選挙から、公式アカウントでこのような編集された動画・縦型動画を投稿するようになった。おそらく、新しい広報担当者が着いたのだろうと思う。
肝心なのは継続だ。総裁選が終わったらぱったりとTwitterの更新が止まってしまうのではないかと心配してSNS運用に関して図々しくもメールや手紙を書いたが、党員人気の高い高市を相手取って次の総裁選を見据えるなら、こういう人柄に迫る投稿、ソフト面の広報が重要になるだろう。彼の品のあるユーモアと茶目っ気、そして音楽の才能は、十分ポテンシャルを秘めていると確信する。
〈過去の林の面白ツイートを紹介〉
私にできること
少し個人的な心情を綴る。選挙区民でも党員でもない、ただの支持者の端くれである私に何ができるだろうか。そもそも友達が少ないので、山口3区民や自民党員の人脈もない。が、幸いにもTwitterのフォロワーが少し多い。政治・歴史と雑多なアカウントだが、林芳正の絵をたまに載せることがある。
概ね好評で嬉しい限りだが、特にこれには600件を超えるいいねを頂いた。ピアノも、毎日学習も、ダイエットも続いたことの無い三日坊主な私だが、唯一この絵というのは10年近く描き続けてきた。正直絵描き歴10年にしては決して上手いとは言えないが、それでも応援の一助になれば幸いだ。ここだけの話で詳細はぼかすが、とある方を通して奥様の裕子さんに送っていただいたところ、とても喜んで下さったようだ。ノイジーマイノリティが目立ちやすいTwitterだが、「応援してる人がここにいるよ!」というメッセージを込めて続けていきたい。
その上で、デマによる誹謗中傷には毅然と対応していこうと思う。基本的にアンチコメントには乗らない方針だが、もし私の元に誤情報が含まれるコメントが来れば、それにはファクトを提示して毅然と反論したいと思う。今後そのような事がないことを祈る。
着々寸進、洋々万里
総裁選の結果を受けてタイトルにしたこの言葉だが、衆院選の情勢を見る限り「洋々万里」とは行かないようだ。国民人気の高い石破総理の元であっても、自民党は政治資金問題が尾を引き苦戦を強いられている。報道の正確性や野党側の問題やらはさておき、国民感情を考えればこれは仕方の無いことだろう。厳しい戦いだろうが、各候補ともどうにか踏ん張っていただきたい。
しかし、「着々寸進」とはまさしく林芳正のことだと思う。自民党がまだ野にあった2012年、危機感から初めて総裁選に挑み、大敗を喫したあの時から12年。安倍政権、岸田政権の元で、農水・文科・外務・官房と、様々な立場で時の内閣を支え、いつしか「困った時の林芳正」「永田町の119番」なんて呼ばれるように。その時々に直面する課題を一つずつ丁寧にこなし、その経験が血となり肉となり、各分野への深い造詣を形作ってきた。
加計学園問題が騒がれた頃、内閣改造で文部科学大臣に任命された林。それまで教育分野は全くの門外漢だった彼は、なんの雑誌に書いてあったか忘れたが、仲間内の飲みの席で「なんで俺なんだろう」と首をひねったという。しかしそんな専門外の役職を与えられても、一から勉強してしっかりと任期満了まで務めあげる。そしてその時に得た知識や経験で、自身の新たな境地を開拓する。
林芳正は決してド派手なパフォーマンスをする政治家ではないが、その文句の付けようのない確たる実力を武器に、権謀術数が渦巻く永田町を生き抜いてきた。そして、12年前政調会長代理だった林芳正は、今や政権のNo.2である官房長官だ。振り返れば、まさに林は、政界という万里の大海を、少しづつ漕ぎ進めてここまでやってきた。そして今回、当初より大きく支持を伸ばして9候補中4位という結果を残すことができた。
総裁選の投開票後、Twitterアカウントに投稿された動画で、林は晴れ晴れした表情でこう語った。一度も残念ながら、落選、負けた、という類の言葉を使わなかったのが印象的だった。きっと本人は、寸分も負けたと思っていないのだ。
むしろこの戦いを経て、彼が往く果てしない航路の先に、「勝利」という灯台の光を見出したのだろう。万里の彼方に思えた「総理総裁」の目標に、頼もしい仲間の助けを借りながら、ひと漕ぎひと漕ぎ着実に近づいている。
まさに着々寸進、洋々万里。
いつかそう遠くない将来、我が国に「林芳正総理大臣」が誕生すると確信を持って、彼がこの大船の舵取りを担う日が来ると思って、この記事を締めくくる。
追記:あまりにも適当な名前でnoteをはじめてしまったので、名義を変えました。酩亭海松(めいてい みる)と読みます。
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