山姥切長義の隠し事? 刀帳解釈から

刀剣乱舞、山姥切長義の刀帳を全力で深読みしていく記事です。深読みしすぎでもご愛嬌です。
彼の刀帳全文は以下の通り。

山姥切長義。備前長船の刀工、長義作の刀だ。
俺こそが長義が打った本歌、山姥切。どこかの偽物くんとは、似ている似ていない以前の問題だよ

刀帳 158番 山姥切長義

俺こそが長義が打った本歌、山姥切

長義について調べるとすぐに行き当たる「本作長義(以下58字略)」の銘。長義の「山姥切」の号については、通称としては存在するものの正式な記録がないため、こちらの名で登場するのではという予想もありました。今のところゲーム中で直接的な言及がない「本作長義」の銘ですが、これは「この作品は長義が打ったもの」くらいの意味だとWikiなどでも書かれています。
これを踏まえて名乗りを確認します。

俺(=この作品)こそが長義が打った本歌

いやこれ「本作長義」の銘そのままじゃん???

えっ……長義は銘を隠し持ってる……いや堂々と名乗ってる???(混乱)
混乱はまだ続きます。

俺こそが長義が打った本歌

本作長義の銘は、彼の写しである山姥切国広を打った刀工、堀川国広が、写しの出来栄えを評価されて入れたものと言われています(※9/7追記:厳密に言うと山姥切国広が長義の写しというのは推測で、作刀依頼と銘入れの前後も微妙なようです)。そんな写しありきでしか存在しえない「本歌」の名乗り。略されることが多い銘の中には、「銘を入れたのは国広」という情報も入っています。つまり長義はこの銘が写しである「山姥切国広」の親が入れたものだということも理解しているのでは? それを誇らしげに名乗っている……?(混乱)

俺こそが長義が打った本歌、山姥切。

さらによく見たら長義、「本歌」と「山姥切」の間に読点を入れて区切っています。もしも彼が「自分こそ山姥切」と主張したいなら、「俺こそが長義が打った本歌『山姥切』」くらいの表現でもいいはず。もしかして長義は「長義が打った本歌」であることと「山姥切」であることを、少なくとも別の事象として捉えているのでは??

こうなると、「俺こそが長義が打った本歌、山姥切」の解釈には以下のような選択肢が考えられます。

  • 本歌(の)山姥切=長義が打った俺こそが真の「山姥切」

  • 本歌(であり、かつ)山姥切=長義が打った国広の本歌で、「山姥切」と呼ばれている

  • 本歌(だから)山姥切=長義が打った国広の本歌、つまり写しの国広が言ってる「山姥切」

ぶっちゃけこれ3つ目なんでは???

何が言いたいかと言うと、長義は「『山姥切』とその写し」以外の国広との関係をちゃんと知っていて、その上でそれを覚えていない国広に合わせて色々隠しているのでは? ということです。

どこかの偽物くんとは、似ている似ていない以前の問題だよ

「どこかの偽物くん」が「山姥切国広」のことなのは「ふたつの山姥切」の回想からも明らかです。では「似ている似ていない以前の問題」とはどういう意味なのか?

  • 解釈1 偽物くんは俺の写しなんだから、似ているのは当然だろう? 彼が俺に似ているんであって、その逆じゃない。俺の外見に彼は関係ないよ。

「俺こそが真の山姥切」路線だとこの解釈になります。
しかし前述した通り、最初の名乗りがそういう意図とは限らない気がする。というわけで「国広が言ってる『山姥切』」路線でも解釈してみます。

  • 解釈2 どこかの偽物くんは「長義の刀の写し」だってことを正しく認識できてないから、俺が合わせてあげてるんだよ。だから似てるのは当然。似ている似ていないの話は、俺が彼に合わせるのをやめてからにしてもらおうかな。

極とも共通するだろう軽装で髪型を変えてきたあたりからも、こっちなのでは……? という疑問が消せない今日この頃です。

『山姥切』と認識されるべきは俺だ

 修行前の国広との回想56で、長義は国広にそう言いますが、そもそも誰よりも長義を「山姥切」と認識しているはずの修行前の国広にわざわざそれを言うのは何故なのか?
 もちろん「俺を差し置いて『山姥切』の名で、顔を売っているんだろう?」から、お前が「山姥切」と認識されているのが気に食わないという意味には見えます。見えますが、「山姥切」の名で顔を売ってる状態なのを気にして「どうせ写しの俺のこと山姥切の偽物とか思ってるんだろ」とふてくされがちな国広に、わざわざ認識を確認する意味って何??
 こう考えると、「偽物くん」呼びから「山姥切と認識されるべきは俺」に至るまで、長義の言葉は全て国広の思考のトレースです。と言うことは、ストレートな長義の本心というより、国広に自分の認識を問い直せと言いたいのではないか? つまり、

「俺が来たからにはお前を『山姥切(の偽物)』なんて認識させたりはしない。もう『俺は山姥切じゃない』なんて言い訳はできないよ、『偽物』じゃなく『写し』としてしっかりしてくれ」と挑発しているのでは?

 そして国広極との回想57。名は俺たちの物語の一つでしかない、長義はそんなことは知っているからこそ、国広が何故「まだ考えている」のか理解できなかったのでは?? 「いやもともと『山姥切』なのは俺だよ」にしろ「俺は国広第一の傑作以外のなんでもないよ」にしろ、あるいは「写しが『山姥切』と認識されてなんか問題ある?」にしろ、なんで明確に答えてくれないんだ? と。

 個人的には「本歌がそういうややこしいことしてるから写しも写しらしく真似してややこしいこと言い始めたんじゃないですか??」と思っていますが(単に本当に考え中なのかもしれませんが)結論としては長義極待ちです。

山姥切長義極、軽装の髪型で布脱ぐんじゃないかなと予想しています。実装を一日千秋の思いでお待ちしております。