韓国ショップで日本人スタッフを一人見かけて思い出したこと
新大久保での韓国ショップの仕事を辞めてから
もう随分と年月が経ちましたが、
やっぱり新大久保に行く機会は
随分と減ってしまいました。
もう長い間、毎日毎日
新大久保に通っていたので
お腹いっぱいというのもありますが。
でも、折に触れて
新大久保に行く機会があったら
懐かしい気分になるし
何かホームに帰ってきたような気分にもなります。
それにしても
新しい店が次々とできて
すっかり街並みは変わってしまいましたが、
あの時にあった店が
今もまだそのまま健在だったりすると
どこか嬉しい気分にもなったりするものです。
とある韓国スーパーに入りました。
何か韓国食材のひとつでも買おうかなと思って。
勿論、新大久保の韓国スーパーということで
店員は韓国人ばかり。
そこに、レジスタッフの一人に
日本人の若者がいました。
よくもまあ、こんな韓国人ばかりの中で
日本人一人だけで頑張って働いているものだなあと
思ったものですが、
いってみれば、
あの時の私もまさにその若者と全く同じで、
客観的に見たら
韓国人の中に日本人一人だけで
よく働いてるなあと
興味深く眺められたことでしょう。
私も今から思えば
よくもまあ日本人一人で働いてこれたなあ
と思います。
今の自分が
もう一度あの環境にゼロから飛び込んでやれるかというと
なかなか想像し難いものです。
最初は本当に結構つらいことはありました。
洗礼を食らったこともありました。
やっぱり孤独も感じるし。
でも、あの時の私は
この道が私の行く道だと思って
それしかないと思っていたし
何の迷いもなかった。
自分でいうのも何ですが
自分がこれだと思うものがあれば
どんな困難があっても成し遂げられるタイプなんだと思います。
端からみて
よくそんなことするなあとひかれるようなことでも
やってのけられるタイプなんだと思います。
最初はそのように洗礼を食いながら
困難な状況でしたが、
月日が経ったら
そこの店長になり
韓国人スタッフを日本人の私一人がリーダーとなって率いて。
韓国語でお客さんやスタッフと話せるようにもなったり
韓国の文化について何でも答えられるようになったり
有名韓流雑誌にコラムを書いたり
CDを出したり
我ながら、店長になってからの数年間は
韓流のスペシャリストというか
いわゆる「やり手」になれていたのではないかなと思います。
自分で言うなって話ですが。
ここで言いたいのは
どんな環境でも
最初はこの環境でついていけるかって心配になっても
日々コツコツと頑張って
月日が経ったらすっかり順応して
それなりの活躍ができるようになるものです。
人間ってそういう不思議なチカラがあると思います。
あんな奇異な環境で
やれてこれた私が言うのだから
間違いないと思います。
私も、当時は
日々コツコツと努力していたものでした。
韓国語でコミュニケーションが取れるようになりたくて
毎日、ストップウォッチで5分間計り、
その5分間、一人で韓国語で独り言をいってみる。
韓国語の勉強
韓国語の単語を覚えて
自分なりの単語帳を作ったり
リスニングを鍛えるために
歩いているときは
肌身離さずイアホンで韓国語会話を聞いていました。
韓国の文化の知識も
ものすごく勉強したし。
そういう積み重ねだと思います。
20代から30代にかけて
韓流で第一人者のように活躍したい!って目指して
地道にコツコツやってきて
お店の店長まで上がれたのは
自分なりの成功体験だし。
私の「青春」と呼べるひとつの時代だったと思います。
レジで日本人が一人スタッフでいるのを見て
そんなことを思い出した今日この頃でした。
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