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「あなたの感じたとおりに!」に従ってはいけない

シンク・クリアリー11章「自分の感情に従ってはいけない」を久しぶりに読み返した。

感情を表す言葉は多すぎる。英語では300以上はあるそうだ。

それにもかかわらず、私たちは自分の感情をきちんと言い表すことができない。

自分の感情を正確に把握するのは難しい。

難しいというか、たぶん無理なんだ。複雑すぎて。

だから「あなたの感じたとおりに!」「あなた心の声をきいて!」っていうのは、従わない方がいい。

だいたい間違ってる。

さらに、それを人生の指針にしてしまうのは、人生を台無しにしているのと同じだ。

本当に当てにならない自分の感情。

だからそんなものを深刻に捉える必要はない。

様々な感情はいちいち重く受け止めなくていい。

自分の感情を遠くから客観視するようにしておけばいいんだ。

難しいことだが「自分の感情」は自分のものではないと考えてみるのがいい。

例えば、著書のロルフ・ドベリ氏は自分のことを「感情というありとあらゆる種類の鳥たちが飛んできては去っていく、ひらけていて風通しの良い屋内市場」と捉えているそうだ。

様々な感情は鳥のようなもので、自分はそれを遠くから眺めるだけ。

これを頭の中に作り上げると「自分の感情」が自分の一部とは感じられなくなったそうだ。

ネガティブな感情との向き合い方

まずネガティブな感情は意志の力では取り除けない。

木にとまっている鳥を意志の力で羽ばたかせるのは無理なように。

「周りの人の感情」は常に真剣に受け止めるべきだが、「自分の感情」とは真面目に向き合う必要はない。

適当に羽ばたかせておけばいい。

そのうちその鳥はどこかに行って、違う種類の鳥がやってくるだろうから。

しかしながら、ときには強すぎる感情がやってくることもあるだろう。

例えば、自分の娘が不慮の事故で亡くなった、などでだ。

この場合も「とてつもなく深い悲しみ」という鳥がきているだけ、と無視できるだろうか?

それは僕にはできない。

ならばどうするか。

僕はこう思う。

その感情に対して、真正面から向き合う。

向き合い続ける。本気の睨み合い。

目を背けたら負けだ。

その鳥が飛びたっていくまで、目を逸らしてはいけない。

そしてその鳥は何度も来るだろう。

そのとき、思いっきり向き合ったからこそ、その鳥について理解している自分がいるはずだ。

強くなった自分がいるはずだ。

一生になるかもしれないが、うまく付き合っていける。

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