NSCに行ってた頃の話⑤

現在も活躍している同期たちのことは、本当に尊敬している。

エンタメに携わる仕事をしているとはいえ、同期と呼ぶのはとてもおこがましいが、今回は許してもらいたい。

「雷さん」というコンビがいた。
濱村と沖、NSCに入って、最初に仲良くなった2人だ。

最初の選抜で一緒のクラスになり、その後も何かと行動をともにした。名前を「雷鳴」に変えて、今でも大阪で活動している。乳首の剣で乳首を指すゲームや3秒物語?でネタ番組にも出ている。

在学中、すごく印象的なネタがあった。
天気予報の定点カメラに、毎回おっさんが映りこんでいて、水溜まりか何かを避け続けるという漫才。

ネタの切り口が斜めどころではない「あぁ、こいつら普通じゃない」と思うと同時に、自分の凡人さにも気付かせてくれるコンビだった。

お世辞にも売れてるとは言えないけれど、彼らがまだ芸人を続けていることは本当に尊敬できることだし、早く売れて欲しいと心の底から願っている。

内容はタイトルから察して欲しいが、数年前に「生でパイパイ揉ませて」という生放送の番組をやった時、雷鳴に出演してもらったことがある。大阪で活動している彼らを東京に呼ぶのは交通費など様々な面からハードルがあったのだが、雷鳴はネタ披露のコーナーで優勝する結果を残してくれた。

最高の気分だった。

私に「番組プロデューサーという仕事は面白い」ことを教えてくれたのは間違いなく彼らだ。それまで「好きなことを仕事にする」ことに対して抵抗があったのだが、考え方が変わったきっかけとなった。

この仕事は、人の心を打つ、刺さるものを作る必要がある。それは、自分の好きなことをやることでしか生み出せないのだと。まぁ、そのせいで会社からは好き勝手やっている奴と思われているだろうけど、それでいい。

仲の良かったコンビをもう一組書いておきたい。「特殊免許」という兄弟コンビがいた。今は土方兄弟というコンビ名に変えて大阪の松竹芸能で活躍してる。

2人はとにかく喋りが暴力的で面白かった。ネタ見せが終わったあと、サイゼリヤへ行き、ミラノ風ドリアを食べながら2人の話を聞くのが好きだった。すごい破天荒で、赤提灯が似合う感じの風貌なのに、ファミレスやハンバーガーショップなどのチェーン店を好んでいたのも今振り返ると面白く感じる。

「面白いVTRを撮影してこい」
という、よくわからない宿題を出されたときのことだ。僕らと特殊免許は2組で、京都と奈良の県境にある山奥の廃ホテルへ行き、本当に幽霊が撮影できるか?というようなVTRを撮ることにした。特殊免許の2人が心霊スポット好きで、そのホテルは経験上絶対出るという場所だったからだ。そこで私は生涯忘れられない恐怖体験をすることになる。

詳しくは書かないが、この経験があったから私は心霊スポットを巡る怪談番組を作ることになる。初めてプロデューサーとして関わった番組で心霊スポットを回ることになるとは、不思議な縁を感じるし、2人には本当に感謝している。

余談だが、その番組で30箇所程度の心霊スポットを巡ったが、1度も恐怖体験をすることはなかった。今思い返せば、特殊免許の2人に暴力的にどつかれる方がよっぽど怖かったな。

そんな2組とも、クラス分けが繰り返されるうちに、NSC後期はネタ見せで同じになることが少なくなっていったのだが、唯一3組とも参加していたのが尾浦先生という作家の講師の選抜授業だった。僕ら3組の空気感を察して、可愛がってくれていたのかなとも思う。

尾浦先生の言葉で生涯胸に刻んでる言葉がある。
「設定が飛んでるならボケはシンプルに。難しいボケがしたいなら設定はシンプルに。じゃないと伝わらん」
迷ったとき、私はいつもこの言葉を思い出して決断するようになった。今の仕事でもそうだ、受け手が掴みやすいシンプルな何かが大切だと信じている。

持論が多くなった。
次回はポップに振り返ろうと思う。

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