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Le 1er septembre

8月15日に書いた文章から今日までの文章を繋げて書いています
読みにくい部分などあるかもしれませんが、心をタイムスリップして読んでいただけたら、そう願って
2020.09.01

2020.08.15
今日は終戦日、戦争を経験した方々が言葉で伝えきれない目にしたものを
私達は知らぬ事が多いまま、この日を何度迎えているのだろう
経験した人々よりも経験していな人々が増えていく現実は、これから別の問いとなって向かい合うことになると思う、そしてそれが今起きている事もそのひとつ
経験して気付く事、今私達は何に気付き、何処へ向かおうとしているのだろう
忘れてはいけないもの、変えていくもの、伝えていくもの、見失ってはいけないもの
美しいものばかりではない、見失ってはいけない、貴方だけのものをどうか大切にして、と伝えたい

毎年8月15日から夏の終わりの8月31日を何度も辿る
私だけの記憶

2020.09.01
中学3年の夏の終わり、私の父はこの世を去った
告知から半年、あっという間のさよならだった
あっという間に過ぎ、中途半端に私は幼過ぎて、誰にもこのことを話さず
あの時の私は、今の私にも理解出来ない程の激しさで生きていた(父も同じだった)
去年入院して初めて気付いた、病室の父の目線、音
ただひとつ、大きく違ったのは明日があるか、ないか

私が3歳の時、母が1ヶ月入院をした
その時の1ヶ月は、きっと私と父が過ごした短い14年間の中で一生分の1ヶ月
口数の少ない父、父も幼い頃に父を亡くし長男として家計を支えていた
とても強い反面、ふとみせるなんとも言えない姿を、3歳の私は鮮明に憶えている
母のお見舞いの帰りに時々お弁当を買って帰って一緒に食べる日、保育園の送り迎えに来てくれる日々、仕事中の父を遠くから何度も確認しながらひとり遊んでいた日々
会話をした記憶はほぼなく、笑顔を交した記憶もない、でもいつも「そばにいてくれた」その強い記憶だけが残っている
父は私をどんな思いをもちながら1ヶ月を共に過ごしていたのだろう
そんなことを去年入院中の猛烈な吐き気と目眩の中考えていた

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夏休みも半分過ぎた頃、在宅医療で過ごしていた父が意識を失った
病院に入院し治療(でも施す治療はほぼなかった)という選択はせず
「自宅で家族と過ごす」ことにした父
帰宅早々、私は父に怒鳴られた、理由は些細な事で
父のどうにもならない心の行き場など、私には全くわからずに
その後、父の部屋にも行くことをしなかった
「父は生きている」という日常が続くはず、なんて思っていたから

日常は刻々と過ぎているのに

夏休みに入り、父を少し遠目からみると
ベッドから外の景色をみている父の横顔
以前より痩せ細り、言葉も発することも、歩くことも出来なくなっていた
「続くと思っていた日常」が崩れていく
それでも父との距離はどうしても埋められず、父は意識を失った

夏休みの後半、暑かった記憶は一度きり
病院へ着替えを置きに、自転車で上り道を一気に登った
意識を失った父はそのまま入院し、意識は戻り安定していた
意識を失った姿を目の前にしたあの光景、父が父でなくなったあの瞬間はとても怖かった

意識が戻ること、それは父にとって壮絶な日々の始まり
でも私は「微かな日常を繋ぐ」その為に自転車で向かった
ひとり部屋の病室、父の首には大きな痣のようなものが出来ていた
本人からはみえない場所、その痣は日々大きく広がっていく
もちろん部屋のにおいも、少しづつ変わっていく

微かは失われた、父がモルヒネを打ってから
痛み故の選択、それと引き換えに幻覚や幻聴
落ち着くと私と些細なことで口喧嘩になり、私が大泣きして病院から出て行ったことも
どちらが悪いわけでもない、でもどちらも素直になることがどうしても出来なかった
「さよなら」がもう少しだというのに、なにをしてるんだ私は......

大喧嘩をしてから会いに行かなくなった

それから数日....ほんの数日後、父の病室へ
父は酸素マスクをし意識の中を彷徨っていた
近寄るのが怖くて、どうしても怖くて
でもこれが最後だとわかっている、でも怖かった

父が微かに目を開け、視線を私に向ける
弱々しい手が酸素マスクを外して欲しいと、そして目で私を呼んでいた

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         「大好きだよ」
         父が私へ伝えた言葉

その夜、父が夢に
白い車輪のない箱が近づいて来る、そこには既に乗車している人々(顔が全員モザイクでわからない)
父が乗車し、私も乗ろうとすると「乗ってはいけない」と言われた
闇のような空間に残される私、どうしても乗りたいと言っても「駄目だ」と
その後すぐ姉に起こされ、何も言われなくても父が亡くなったとわかった

夢の中の父の顔は、どの頃の父だったのか憶えていない
3歳の頃の父だったのか、病床の頃の父だったのか

でも最近ほんの少し思い出したこと
最初で最後、一度だけ父と母と海へ行った
海で遊ぶ私を、遠くから父と母がみていた
その時の父の顔が、きっとあの夢の父だったと

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9月1日、毎年必ず訪れる日
去年病になって、父から送ってくるサインを沢山受けとった
それに気づけたこと、そして父の愛がどんなに強かったかを知り
noteへ、感謝と共に記しておこうと決めた

今日という日はもう来ない
だから今日という日に、今日だけの言葉を

         ありがとうお父さん、大好きです

                   2020.09.01