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原点

 noteの使い方のマニュアルみたいな記事何となく読んだことがありまして、大事なことがなるべく毎日書き続けることですって記憶にあって、う〜ん、どうだろうなって思ってるこの頃です。
 
 去年年末ぐらいに、「Culinary Backstreets」という世界中な町でフードツアーを行う会社のウエブサイトにて記事を書いてるフリーランスが御来店して、2021年に「Best Neighborhoods」を紹介する記事を出すために、kraftcoffeeのことを是非載せたいと、インタビューっぽい?ことをさせて頂きました。
(記事はリンクに貼っておきます、kraftcoffeeは一番下の方に)

 そのインタビューの中に、初めて自分がコーヒーと関わるきっかけを言葉にしたことで、そこから、たまに常連さんと会話してる中に、その話に触れる流れもあったので、ふっと、あっ、書かなきゃと。

 無宗教だけど、厄年って本当にあると信じてます。24歳、自分、厄年でした。高校生から飲食業でアルバイトをずっとしてきて、23歳の年に知人の紹介で香港のショッピングサイトの日本子会社に就職しました。その時の自分は、安定を求めてました。もう、安定を手にしたと確信しました。貿易関係の仕事を、システムに従って毎日ほぼ同じルーティンで生きてました。たまに重い荷物を扱う時もあるのて、腰よく痛めた記憶もあります笑。それでも、その時は「しあわせ」でした。
 そこから1年半未満の24歳の夏頃、日本子会社の日本人取締役一身上の都合で、会社を無くす方針が決まり、はい、解散ーえっ?ん?突然過ぎて詳細はもう記憶する余裕無かった。それと同時に、その会社で就労ビザを取得することも、もちろん、全部、なっしー。人間関係も、ぐちゃぐちゃになりました、悪事の連鎖が、とまらない、とまらなかった。
 毎日、頭痛いまま寝て、起きて、現実なんてしりたくなかったから、またすぐ寝てたい、夢で生きていきたかった。ほぼ誰にも会わない日々を、2ヶ月ぐらい経った頃の、蝉がミーミー鳴いてたある日に、やっと家から出る気になって、行き先は、スタバでした。
 アメリカーノよく飲んでたので、その日も、アメリカーノにした。夏だったけど、何故かホットにした。うっすらしか聞こえないBGM、人々の声、牛乳をスチームするプシューの音、五感がその空間に身を任せたまま、ホットアメリカーノを口にした瞬間、「きみ、もう、いいんだ、十分だ、前に進むんだよ」っと、だれか言ったか知らない、だれかそう言ってくれた、気がしました。涙がとまらなかった、今でも書きながら必死に涙を堪えてる。何の体験だろうな、とかも思いつつ、コーヒーの仕事したいと、なりました。
 今まで、コーヒーに関わるきっかけ書かなかった理由は、これを書いてる時に分かったです。人って、嫌なことを忘れる習性あるです、自分は、とっくにそのタイプだと思う。でも、時が来た、書かなきゃいけないこの時。傷をもう一度を掘り出して、向き合わなきゃいけない時。
 「Best Neighborhoods」の記事のように、Coffee,is life itself. 自分にとっては、それに尽きる。
 引き続き、コーヒーと生きていくつもりです。
 ↓↓記事リンク

https://culinarybackstreets.com/cities-category/elsewhere/2021/city-interrupted/

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