おととひメルマガ第2号: 語られざる 『日本が狙われる理由』

父親は高分子科学者で アメリカで 認められた人。
京都大学で 助手から助教授になる時に こちらの学会誌に発表した論文が偶然アメリカの結構有名な学者さんの目に留まり、 その人 JFK キャメロットの 筆頭格だった マクジョージ・バンディのいとこなんですけど、 とても控えめな立派な人格者で 向こうの科学アカデミーのドンとは 言わぬまでも、 顔役 の一人 みたいな人だったらしい。 マクジョージ・バンディ、 ハーバード始まって以来の秀才 史上最年少学部長みたいな人でしょ。 しかも 一時とはいえ権力者だったし、 その人といとこで 本人も能力があって人格者だったらどうしたってそうなりますわね

学問をやる場合でも人との出会いは大変大切でそういう人に認められるというのはとても運のいいこと

峻厳苛烈な毒舌家として有名だった

ポール・フローリー
学会の席上 発表者に大恥をかかすこと、全く躊躇わない。 レオロジーという学問の大半をほとんど一人で作ってノーベル賞を受賞した天才ですけど、 そんなフローリーでも 父親の師匠の前ではおとなしかったという。 控えめだけど能力があってとても切れる人 それをフローリーも認め 内心恐れていた。

その父親の師匠、 ハーバードみたいな 東部のアイビーリーグではなく、 大学はスタンフォード。 あの人柄から 東部エスタブリッシュメントの 衒学趣味がどうも質に合わなかったらしく、 また専門の分野で とても出来る人がスタンフォードにおられそっちに行ったみたいで。

ところがその人

生まれはアラスカだった。 父親は鉱山学者で そちらの会社で働いていた。 はっきり言えば GOLD miner だったんですよ。 アラスカは言うまでもなく カリフォルニアと並んカリフォルニアと並んでアメリカの一大産金地帯です。

私は父親の師匠が 日本に来て 何度も道案内をしましたけど、 門前の小僧と言うかそういう方面には大変 詳しかった。

黄金の国ジパング。


 これは ホラ話でも嘘偽りでも何でもない 。過去の話でもない 。おそらくこれからも。 そういう話であろうこと 。予想もしないかたちで聞かされました。 そして先生の お父様が そっち方面の、アメリカでも有数のエキスパートで 、そういう人たちの間で半ば日本について公然と語られている、という、おそらく他の人が知らない事実まで知ってしまった。 当時はそんな話もあるのかな?


だったけど今にして思うと、日本の命運を分けるかもしれないくらい『重大なこと』かもしれない。


先生は 特に『東北地方』に注目されていた。 世界でも稀な地形だと 。 それは地理的地質学的な問題だけではなく、 お父様のお仕事であった 鉱山学上の。 そういう意味でした。 先生は おそらく現実にはフビライハンに会ってはいないであろう Marco Polo という人間が記述している『 黄金の国ジパング』 伝説。 大陸の東の端にあるこの国。『建物が金でできている』というあの話ね。 長いことヨーロッパ そして中東世界にも知られていなかった『 日本』を紹介した 最初の 文章。 これはおそらく 別の話が元になっていて それは平泉の中尊寺金色堂の話であろうと。

シルクロードは中国大陸 そして 中央アジアから中東ヨーロッパに。 ローマ帝国で 絹は大変珍重されていた。 ところが当時のローマの人は 絹が一体どういう形で生産されるものなのかまるで知らなかった。 シルク生産が フランスの一大産業になり、 蚕の疫病を退治するのに あのパスツールが大きな役割を果たしたのは19世紀の終わり頃です。 ローマ帝国の時代『 絹=中国』であり、 ローマ人は中国と絹を 同じ言葉『セリカ』で。 これが英語のシルクの語源です。

言葉も通じない文化も全く異なる 異文明の 中国とローマ。 しかしがっちりと交易をやっていたわけで、そこでいちいち『なんでも鑑定団』式の 値踏みをやっていたのでは貿易なんかやっていられません。 異文明間でも通じる 共通価値を持った 交換 財がなければならなかった。 それはダイヤモンド のような宝石ではなく ゴールドだった。


ゴールドが太古から存在し しかも同じ目的に使われていた 。言語も価値観も違うもの同士の交易用交換財。 物々交換を仲立ちするもの。 しかも蓄積も 計量も可能なもの。 新大陸から大量の銀が持ち込まれるまで、 新大陸以外の社会でそれはゴールドだった。

ただまとまった量を採取することが難しかった 。ところが 紀元前1000年以降になると 、それが現在の イランペルシャで見つかる。 当時のリディアです。 彼らは これを使って 世界初の 金貨をこしらえる。 広域経済圏形成にはなくてはならないものです。 こうしてペルシャは短期間に世界帝国を作り ギリシャを侵略して西欧世界を脅かします。 しかしマケドニアから現れた Alexandros によってペルシャが滅ぼされ、 この帝国はやがてローマに受け継がれ、 イラン山岳地帯の 金鉱山が枯渇するまで続きます。 それと同それと同時に中世が始まった。 ゴールドの供給元が枯渇しているのだから これ以上の広域経済は無理。 だから今あるもので自給自足 そういう社会になる。それが中世。

しかし ヨーロッパ情勢が 落ち着きを取り戻し 、 彼らの力が 外に向かおうという時 ヨーロッパには絶対的に黄金が足りなかった。 それを当時 イランを征服し掌握していたのは アラブイスラム圏だったので十字軍戦争が起きた。あれは泥棒戦争ですよね。 ところが 東アジアから 中国の金銀及び鉄を掌握したモンゴルがやってきて、 中世秩序を破壊してしまった。 ヨーロッパ人はここで初めて銀の威力を見せつけられる。

それはスペインポルトガルにより、 新大陸の銀が大量に持ち込まれることで決定的になりました。 それまで 各国共通通貨を作ろうと思ったら素材はゴールド以外ありえなかった。 ところがゴールドは量そのものが少ない。 しかし銀は、 大量に持ち込まれた上に ゴールドと違って 真贋判定が比較的簡単にできた。 これにより 貨幣の素材はゴールドからシルバーに変わり しかも大量に供給されたため 交易 圏 は初めて世界大になった。

世界貿易は 銀貨が出現するまでできなかったんですよね。 日本で初めてこれに着目したのが織田信長で、 日本においてゴールドを掌握していたのは 中央の天皇と公家、 そして東北 関東産金地帯に結びついた特定の勢力だった。 日本のエスタブリッシュメントはゴールドが 支えていた。 信長が南蛮人との交易を選択したのは、 自分の手持ちの資源がゴールドではなくシルバーで、 エスタブリッシュメントに対抗するためには南蛮人と組むのが一番だと考えたからです。 彼らが銀 貿易を好む連中だったから。

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