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「もっている」のはいかにして可能か(博論2024/07/07)

「スピリチュアル」なことがらについて、いろいろ考えたり、観察したりするなかで、自分の問うている問いの、一番上の階に当たるのは何なのか、を言語化すると、「もっている」と呼ばれる状態?というか、そういう人の在り方?というか、それは、今決めない方がいいみたいなのだけれど、

ともかく、「もっている」ということが、どういうふうにして、あり得ることになっているのか、が、解こうとしている問なんだろうなぁと、現時点では、思います。

人がスピリチュアルな存在であることを、指す言い方が、「もっている」だ。なので、次のようにすると、問いとしては大きすぎるものになってしまう感じがするけれども、「スピリチュアルな存在であることは、どう可能なのか」と、一般的には、ざっくり言ってしまうといいかもしれない。

ポイントは、この問いには、スピリチュアルであること、それ自体の検証は含まないこと。スピリチュアルは可能かというのは、また別の問いであり、私は脇に置いておくし、取り組むつもりはない。

自分の問いが、どうしてエスノメソドロジー的になるかも、サブの問いとして持っておくと良さそう。

ということで、そろそろ文献を読んだら良さそう。読むのに、着目点が決まらなくて、今回の読み方が定まらなかったのよね。

そんな風に、自分が自分の属しているコミュニティとか地域で生活する、自分の生活それ自体の中で、考えていることを探求していくのに、何に取り組むかを、見たり聞いたり考えたり資料読んだりしながら進めているので、私の実際の調査プランとか、倫理申請通すとかは、ここまで、あるいはもう少し先まで、私がしている作業とは別のものになるだろうし、別のタイプのものをパブリッシングする際の前提になるんだろうなと思います。

そんな感じで。

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