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Therapeutic Para Ethnography WritingあるいはPara Ethnography Writing Therapy

自分の新しい調査研究方法の名前。

ちなみに、私のこういう風に書いていることの断片を使うことはもちろんできるだろうけれど、私の構想していることそのものを、私のやる精度でやることは、他の人には不可能という自負が私には、ずっとあって、人に自分の構想のタネから過程から、全部見せることに躊躇したことは、ない。

研究会好きなのも、データセッション好きなのも、そのせいだと思うわ。

加えて、一人でずーっと考えるより、絶対に作業スピードが早くなる。そういうことも、そもそもタイトル名のやり方に則ってたからじゃないかなと思う。

倒れてしばらくしてから、日本のカウンセラー、富士見ユキオさんに会っていた時、自分のクライアントには、自分の研究の発想が盗まれるのではないかと躊躇して言わない人が沢山いるが、私もそうなのではないか、と彼に言われたのに対して、私の考えることはタガが外れているので、誰にも真似できないから、盗まれると心配したことはないし、やろうとしても不可能だと反論したら、結構ビックリしていた。

自信家なのね。ごめんなさい。

すごく、規模を小さくすれば、今回のは試行は可能かもだけれど、全体の理論化は、同じようにはならないと思うし、それは、私の能力というより、持っているアイデンティティやフィールドの多様性によるのではないかと思う。

持っているアイデンティティのマルティプルな程度の度合いが高いのと、それにマッチするフィールドを開拓できている幸運と、マルティプルなアイデンティティの一つ一つや組み合わせをプロセスすること自体を、記述内容にできている、というタイミングの問題もあるかな。それらを可能なように進行させていることと、博論のプロジェクトの組み立てを、同時進行にしているんだけれど、そういうこともまたプロジェクトを走らせる醍醐味よね。

プロジェクトベースで諸々を組み立てる醍醐味にちょうどハマってるタイミングだった、というのもあると思う。という風に、何が現実を組み立てているかの要素やルールを考えるのが趣味なのも、全体を成り立たせていると思います。

以上を、365日24時間やるのをやめられなくて、ブレーキかけないと身体壊しちゃう生き方ってか、発達特性ってか、趣味嗜好ってか、何とかかんとか。やれやれ。

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