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再掲『解説: 同胞とは誰か』

掲載してから1年経ったとFacebookが教えてくれました。私がパブリックにカミングアウトした「ryuchellの死に関するメッセージ」の解説、です。

『解説: 同胞とは誰か』

先に投稿した『今は嵐の中だから、明日死ねばいいから今日はしのごう、と思うことで日々をやり過ごし、生き延びよう』本文中の「わからない人には何が書いてあるかわからない」こととは何か、の解説です。

「わからない人には・・・」は「渦中にいない人には、何が書いてあるかわからない」をマイルドにしようと試みた文章でした。

以下、文章の流れに従って、解説をしていきます。

なお、いちいちメッセージのどこに相当するか引用はしません。そういう意味では、この解説も「全くわからない人」に向けてはおりません。よくわかるわけではないけれど、いちいち引用しなくても、詳しめに説明すれば腑に落ちる人、あるいは、じわじわと効いて、いずれわかる可能性に私がかけたい人に対して書いています。最後まで読んでも、わからなかった人のためには、次を用意してあります。

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ryuchellが一番たたかれたのは、子どもがいるのに、ぺこと離婚してトランスし、自分の生き方を貫こうとした点、であると思います。

私もごく最近、24年間いろいろなことに我慢を重ねた結果、パートナーと別れて、やっとトランジションを開始しましたし、ryuchellのような人は、トランスのコミュニティには、たくさんいます。それほど、女・男とはこうあるべきだ、という規範は強く、本人もなんとか頑張れないかと試行錯誤して、耐え続け、しかし耐えきれなくて、ついにトランジションをせざるを得なかった、ということが起きます。これは極めてよくある経験です。

しかし、これが一番世間から叩かれます。日本の戸籍の性別を変えるための子なし要件というものをめぐって、とてつもない戦いがあり、現在もこの要件は削除されずに残っています。

この、よくある経験への、よくあるバッシングが、ryuchellがヘイトクライムで死なざるを得なかった理由のひとつだと、私は受けとめています。

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また、性別規範の押しつけを、自らに対しても、やり続けてしまう私たちが、陥りがちなものにアディクションがあります。もちろん、トラウマ持ちが多いから、でもあると思います。タイトルは、アディクションを持ちながら生きる時のやり方だとされているものを、生きながらえること、それ自体に例えて付けました。

明日飲めるから今日は飲まないと、飲むことを先延ばしにしながら生活する。ドラッグは明日やればいいと、薬をやることを先延ばしにする。そういうアディクション持ちが、なんとか生きていくやり方を、明日死ねるから今日は死なない、というタイトルに込めています。

すなわち、この明日死ねるから今日は死なない、というのは、ヘイトクライムにあいながらでも、生きていく生き方のことであり、私はそうやって生きていくことを薦めています。それでも生きていこうと、文章を書いている宛先になっている人びとを励ます。そういう意味の込められたタイトルになっています。

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ryuchellのような、そして私自身がそうであるような生き方をせざるを得ない、私たちの人生について書いていくのに、この文章がゲイバーで書かれている、ということになっているのは、極めて重要です。

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その理由の一つめは、ゲイバーは、本来の自分を表現できる限られた場所であったし、現在もそうであるという悲しい現実があるからです。

そもそも、出だしは、私がryuchellが死んでショックなことを、ryuchellが誰か知らない人に話しても、それをシェアしてもらい、その辛さから立ち直ろうとする経験の記述から始まっています。日本では、そんな経験はできないと思います。なぜなら、私は、その一日、会う人会う人、全員にryuchellの話をして、共感をしてもらえているのですから。

しかし、それでも、私はゲイバーにやって来て、そこで一番好きなドラァグクィーンのショーを見ることで、今日は死なないようにチカラを得ようとしています。

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さて、日本では、バーで酒を飲まないと店が潰れますので、この点で、アディクション持ちは、問題を抱えます。つまり、気の許せる場所が、酒を飲む場所に限られているのに、飲まない一日を過ごそうと試み続ける、という課題に取り組まなくてはならないからです。

しかし、ここでは、ダイエットコークを飲んで、ゲイバーのカウンターで過ごすことができる。その驚くべき事実を、私は伝えています。(この下書きを読んでくれて、二丁目でもソフトドリンクで過ごせて、もう何年もバーでもクラブでも飲まずに過ごしていると教えてくれた人がいました。)

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にもかかわらず、つまり、私はそんな場所に住んでいるのに、スリップしています。スリップとは、ここでは、断酒をしている「アル中」が、酒を飲んでしまうこと、を意味しています。つまり、ここで書かれているのは、私がアルコールに対するアディクションを持っている、という告白です。そして、「アル中」は、スティグマです。これはLGBTであることをスティグマだとする研究を思い起こさせる、そういう効果も持っています。つまり、私たちはスティグマをたくさん、重ねて持ち合わせていること、そのことが示されています。

(なお、日本には、アルコール依存の自覚のない人が大量にいることを申し添えておきます。カナダでも、しかりです。なお、カナダで健康を害さないとされている酒量は、性別に関係なく、週にワイン3杯です。)

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私は、3日間スリップしてしまっても、そこからなんとか立ち直ろうとします。それを、バーテンダーが、何気なく支えます。これは、ものすごい実践です。

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日本では、トランスジェンダーへの嫌悪が剝き出しになることが増え、本文の宛先となる人びとは、そろそろ誰かから襲われるのではないかと、ものすごい恐怖を感じています。私はそれを自分がしてきた、危険な経験と重ねます。

ここで、私は薬をもられたと告白していますが、薬をもられて、されるのは、レイプです。そういうあり得ない目に、私は何回もあっていて、その時の、そしてその後も感じ続けている恐怖を引き合いにして、みんなが危険に怯えているのは、どういう感じがわかっているつもりであること、さらに、ここでも、この素晴らしい場所でも、そういう恐ろしいことは起こり得るので、私は気をつけていることを示しています。

そう書くことが伝えているのは、そういう私たちが生きている環境のシビアさです。つまり、私たちには楽園はない、ということを言っています。

なお、レイプの被害者は、サバイバーと呼ばれますが、これもまた、スティグマを付与されやすい存在です。

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それでも、ここは、ある種の楽園です。その様子は、外見への言及がここではどのようなものかの説明として、紹介されます。(なお、それは、ゲイバーでの経験を導入に紹介されて、全体のエピソードの統一感を持たせるように工夫されています。)

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何を着ていようが、自由なのが、どのくらいの程度かが記述されています。さらに、人が何を着ているか、口に出して相手にジャッジするようなことを言うと、差別に当たると説明されています。

人の外見について、いちいち言うことの多い日本の人にとっては、そして、人から外見について、いろいろ言われやすいトランスジェンダーにとっては、人がどんな見た目かに言及するのは差別的な行為だというのは、また驚くべき事実です。

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そして、自分が好きな格好を相手がしている場合については、例外で褒めることが推奨される、という事実も続けて書かれています。

これは、日本では他人を褒めることが、あまり推奨されていないように私が感じているので、そのように書いています。(なお、褒めているのであっても、道ゆく女性が、道端で口笛を吹かれるようななされ方については、アリス・ゴフマン参照のこと。)

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さらに、どこでも、誰でも、褒めたり、褒められたりする、そういう環境で私は生きていていること、そうであるのだから(もちろん、それは一つの例なのですが)、もう日本から逃げ出したくてたまらないと思うのであれば、ここへ逃げて来いと私が言っている、という組み立てになっています。

つまり、ここでも、気をつけないと襲われるかもしれないけれど、日本より程度として、ずっとマシだと私は考えているのです。

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なお、このバーは、アクティビスト推しのすごい場所ですが、そこまで書くかは迷い中です。(アクティビストとは誰かについては、別稿を用意する予定です)

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続けて、一緒に戦っていたみんなをおいて逃げた、という私の認識が示されます。

(しかし、それは、一緒に闘っていた仲間に、お前は逃げるしかないと言われて可能になりました。みんなを置いてきた、私の懺悔する気持ちを、後に、私は書いています。)

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そういう私が、逃げてきた、この場所に止まるのであれば、滞在資格を確保するために、移民というかたちにならざるを得ないと思います。その移民の手段のうち、難民は、自分の国から逃げないと、殺されるから許される行為であり、そういう存在を名指す言葉です。日本は難民申請をしたら、こちらで受け入れられるような危険な国です。(統計によると、2022年に日本からカナダに難民申請して受理されたのは5人です。)

ここも楽園ではないし、程度問題ではあっても、ヘイトクライムに合う可能性から免れ得ないシビアさを、私は、逃げろと言っている、本文の宛先となる人びとと共有しようとしていると思いますし、そのシビアさを、ryuchellが死んだ理由だと位置づけていると思いますし、本文の宛先となる人びとに伝えたい事実として提示していると思います。

しかし、日本は、私にとっては逃げざるを得なかった国であり、ryuchellが死なざるを得なかった国です。そのため、私たちには楽園はないけれど、ここは日本より、程度としてマシなことを、私は書いてあるように確認済みだから、もし逃げたくなったら、逃げて来ることをオススメする。それが、冒頭の要約になっている私からの、私の書いた文章の宛先になっている人たちへの、メッセージです。

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以上のことが理解できる人、それらの人たちこそが、文章の宛先であり「同胞」の中身です。しかし、私はそれ以上には「同胞」とは誰かを定義していません。なぜなら、これを読んでなるほどと思うのは、読んだ人の状況や、読んだのがどういうタイミングか、読んでから何を考えたか、などに依存するからです。そのため、読んで少しでも思い当たるところのある人が、あるいは自分のことではあり得ないと思った人でも、いつでも自分のことかもと考えられるように、定義のない「同胞」をこの文章の宛先ということにしてあります。

(自分の経験は、自分によっても、違う状況や違う場所、違う時間に思い起こすことで、違った仕方で経験され得ます。トラウマ研究でよく言及されたり、さらには最新の疾患カテゴリーであるDisorder of Dissociation の解説で詳しく書かれているように、つらいがあまり経験できない、という経験もあります。それを言語化し、引き受けていく作業の一つとして、私はここで自分に起きたことを、例として書いている、という側面もあります。私がここにいること自体、医学的には転地療法であり得ます。)

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ここに移民して来ている大量のLGBTQIA+の人々は、実は言語とか仕事とかが、何とかならないから移民なんてできない、みたいなことを考える余裕もなく移民に挑戦し、それによって実際に移民が可能になっている、というのが、私がこの地で知った事実です。だからこそ、逃げたかったら逃げて来い、という強いおススメがなされています。

(なお、これが強いおススメであることは、物語において、クライマックスは極めて詳細になる、という古典的な分析結果と同じかもしれません。)

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そういう、同じように私とは違う国や場所から逃げて来た、私と同種の人びとの、戒めや励ましの言葉、信じている考え方が、次に引用されます。

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さらに、そういう考え方を日本では失いがちだという、指摘がなされます。

日本は、そんな酷い状況だという指摘と、だからこっちの方がマシなことを紹介することで、自分たちの苦境をシェアして、なんとか生きていこうとエンパワメントする文章になったら良いなと、書き下ろしました。

ここが、一応の終わりです。「なお」からは補足です。

補1
補足は、本文のそこまでを読んで、ヘイトクライムを言いたくなるであろう人たちへの親切さとして、受け取られてほしいですが、そうならないのが、日本という国にいる人たちの持つ傾向なのだと私は感じています。

補2
そうして、私が大学教員というかたちでアクティビストをやってきたからできる、ここまでの文章を自分の経験に重ねられない人に対する要求が示されます。

説明の要求ばかりせず、自分で調べて勉強せよ。

これは、とてつもなく言いにくい要求です。自分たちがわからない責任を、「私たち」が自分たち自身の説明不足のせいにされてきた、という経験を「私たち」は持っています。私も、自分が差別をしているというのかと糾弾されたり、逆切れされたりして、散々説明させられて疲弊していったのも、バーンアウトした要因だと思っています。そういうわけで、もう言ってやれっという感じで、勢いをつけないと言えないようなことです。真っ当な主張なのですが、私の方が逆切れしているように聞こえるようで、なら知らんわと返されると、もはや「私たち」としては本当に困るからです。

(なお、「私たち」という表現については、『レズビアンという「私たち」のストーリー』を参照して再検討が必要かも)

補3
そういうと、まさにこの地点まで読んでキレられそうですが、その場合には、白人がレイシズムの話を指摘されるとキレるという『ホワイト・フリジリティ』を参照してみて下さい。この本を読んだ際、レイシズムに関して、本の中で書かれていることと全く同じ経験を私はここでしていると思いました。それを話して、自分もそうだと思ったと日系人にもこちらのファーストネイションにも言われました。

さらに、その経験は、ジェンダー平等やフェミニズム、LGBTなどについて、講義したり講演したりする中で、私が日本でしてきた経験と同じようにも感じています。もしそうであるならば、この点にこそ、私が『バット・フェミニスト』を読んで、ロクサーヌと同じ経験によりバーンアウトしたと感じた理由が存在していると思います。

(この補3については、論文が1本書けそうな分量になりますので別稿に譲ります。)

ここまで読んで「全くわからない人」は、さらにキレるかもしれませんが、それに対しては、説明のために、作成してあるアート作品がありますので、それをまた別に投稿します。

以上、解説でした。

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