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『方向転換』

ずっと、楽に生活できる方法を探している。

まず、ここの街の大きさが、もともと難しかった。全員を無理のある一つの基準で統制できると想定されている程度のコミュニティの大きさや多様性では、本当に生きにくい。ビクトリアは、2019年に始めてきた時より、確実に多様性のある都市に成長している。来た時は本当に酷かった。しかし、ここの人たちは、小さい街に住む方がしっくりくる人たち。千葉にすら引っ越したくなくて、都心から逆流して、片道1.5から2時間の出勤をしていた私は、もともと、この小さい街のサイズが性に合ってなかった。しかし様々な都合で、ここに居た。

もはや、そんな必要もないみたい。引っ越そう。大きい街に。よく頑張った。夏にそうするつもりになったんだけど、その時にはまだハードルを高いように感じていたと思う。

それから、私は生まれた時に女性だと判定された人びとの集団というのが、極めて苦手だ。それについては、夏の終わりに、noteに書いたとおり。ここのドラァグのコミュニティで私が問題になっているのは、まさに、そういう集団。ある程度の仲良し感覚みたいなのを共有し、維持しなくてはならず、ある程度は常に気を配ることを求められる、みたいな関係性のマネジメントが無理。この点において、人種や民族的な問題より、女性的なコミュニケーションが苦手だというのが、致命的になっている感じがする。どうしても、一人で飲みに来る男性の集う深夜のバーのカウンターの常連になってしまうが、自分でもどうしようもないんである。そういう空間で休息する時間が持てないと、窒息するんだもん。しかし、すでに7ヶ月酒は飲んでいない。

大きい街には、もっと多様な居場所がある。自分と同種の人びとを探して、もっと気楽に人と付き合いたい。何より、親密な関係の切れ目が引越しのタイミング。本当に、お疲れ様であった、と自分を労わりたい。

そうして、ラッドな同胞がやってきて、数日過ごして、ここあかんから早く引っ越せよな、とのこと。やっぱりね。しかし、なんだかんだ言って、友だちや良いつながり、たくさんできたし、名残惜しいんだよね。。。と思う一方、どおりで辛いし、何回もほとんど着の身着のまま逃げてるんだよね。と思って、本当に涙ぐんだり、泣いたりを、しばしば繰り返している。



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