見出し画像

中村英代『依存症と回復、そして資本主義』読書メモ

under construction

1  12ステッププログラムへの第一の疑問は、起きたことを自分の問題として捉えるのは、なぜ、誰のせいでもないと考えるのよりも、有効だとされているか。

2  むしろ、その方が、中村が言うところの「目的論的な思考習慣」ではなく「宿命論的な思考習慣」に接近しやすくはないか?

3  「希望に向けた宿命論」というのは、スピリチュアルだとされている体系の理論と同型だと思う。例えば「占星術」。日本の星占い、みたいなやつではないやつ、ね。

4  それから「(カード)リーディング」。星やカードのそれぞれが複数の意味を持っているというのは、極めて重要だ。なぜなら、「宿命のなかでの選択可能性」を担保するから。

5  それが担保される、というのは、「占星術」と「リーディング」も、プロセシングという日々の営みとして、あるいはそのツールとして用いられている、その有効性を担保する。

6  付け加えたいポイントは、それらの長大な歴史。加えて、それらが、魔術だとされてきたこと。つまり、正統なエビデンスベースドの科学の在り方から、かけ離れたものとして位置付けられていたこと。また、魔女のものだとされてきたこと。その掛け合わせで、ある種のスティグマを付与されてきたこと。

7  そのことを指摘した上で、そのような存在と、神、というものの位置づけの関係を考えたい。神は、絶対であり、善とは何かを決める。魔女は、悪魔であり、罰せられる。スティグマを張るべき存在の象徴として。また、見せしめとして。持っている機能は同じなのに?

8  その位置関係自体は誰が、何が決めてきたか? 神じゃないよね。人間だよね。人間ていうのは、いつの時代の、どこかの、誰か、だよね。では、それは、誰か? 一人ではもちろんない。それらの人々とは、誰か?

9  魔女は民衆史に、神は正史に。それを決めたのは、「大いなる力」ではないよね。なら誰か? 念のため、西暦は、キリストの生まれた年から始まっていることに注意。また、アカデミアで、正統な歴史とサブの歴史の位置付けを作ってきたのは、誰か? 具体的な時代と地域と人物で考えるべき。

10  追加で。他人はコントロールできないとしても、自分も、また、コントロールできない存在だと、BDSMは成り立たない。BDSMの前提は、同意、契約、統制、の存在と、その可能性だから。これもまた、魔女側に振り分けられている点に注意したい。

11  大人、とは何か? 年齢を重ねることで老化して大人になる、のとは別に、「理性的で自己コントロール可能な存在」のことを大人、と呼ぶのでは?

自己コントロールに関する議論と、監視に関する議論を再び参照しないと、かな。

12. 「大いなる力」がミスリーディングなの、ジェイムズが心理学者だから?と無粋なことを勘繰ってしまう。

13. ベイトソンとトラウマ研究の関連について、要確認。

14  1について
何かが起こることには、一つの側面しかない、ということはあり得ないので、相手のせいでもあり自分のせいでもある、という言い方をすることができる。しかし、それだと自分のせいでもあることを受け止めるのが難しいから、まずは自分の問題として捉えて、引き受ける練習をする、ということかな。

15. 誰のせいでもない、というのは、ある意味で、責任の放棄だから。もちろん、責任を放棄するべき時、というのもある。

16. 気をつけて言語化しなくてはならないのだが、性暴力関連の活動家や、SWの活動家に、よく感じている問題点は、これに関係する。

17. もちろん、被害を受けた人に対して、特にその直後やスピークアウトを行って二次被害にあった際などに、「あなたは悪くない」と言うのは重要なことだ。しかし、この言葉は、状況超越的に有効なわけではない。

18. 加えて、SNS上でした発信を人が見る状況は、発信側にはコントロール不能である。この対面での情報発信とは違う側面について、活動家や研究者は考慮に入れないと、不要に人を傷つける、と思う。

19. また、被害を減らすため、あるいは被害経験を減らすためには、ある程度の時点で、被害経験の両儀的な側面について考えることが、両者にとって、それぞれ不可欠である。

20 例えば、こういう格好をしているからと言って、襲ってはいいわけではない、という言い方の理解には、被害を受ける可能性の高い格好の理解と、そういうことは関係なく加害はしてはならないということの理解、の二つが必要だ。

21 被害者も、自分への加害行為は許されないことであるから自分を責めなくて良い、ということの理解が不可欠である一方で、状況によっては襲われやすい格好がある、ということの理解により、再び被害経験を防ぐことができる。

22 活動家や研究者が、気をつけなくてはならないのは、先の二つ目の理解は、社会の抱えている問題であるが、それを解決する必要があることと、被害の当事者がその問題にどうかかわるかは別のこと、だということ、だ。

23 このような二つの側面の理解を利用することにより、冤罪の予防をどうするかについても考えることができる。

24 加害者が加害を実際にはしていない場合に、先に述べた社会の抱える問題を、声高に叫ぶことで、加害を実際にしていないという訴えを、妨害する、ということが起こりうる。

25 このことは、先にSNSは発信する側が、見る側の状況をコントロールできないことにより、加害していない加害者に対する被害を拡大しうるし、それを大きくしたくなるオーディエンスを止めることができない。

26 以上のことに注意する必要性は、「トランスコミュニティ内での被害加害問題」にでも、「トランス女性は女性ではないから女性トイレに入れたくない問題」にも、同じように機能する。

27 抽象度が高いので、分かりにくいだろうけれど、疲れたので、とりあえず、ここまで。

ここから先は

0字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?