見出し画像

『ラブレター2(オートエスノグラフィックな何か17)(博論理論断片1)』

4月24日に実際に「ラブレター(冗談です)」という件名で送ったメールです。返信はありません。

————
現在、またビクトリアにおります。

(略)なんとメールしたら良いものかと思っておりました。I am so sorry for your loss.

いつまでも、練ると、送れませんので、ともかくメールを送ることにいたします。

これまで、ずっと自分のアイデンティティがわからず、カミングアウトもできませんでしたが、こちらで、やっとspeak outし始めました。

私は、アイヌで、Gender Nonbinaryということに仮にしてありますが、アイヌのTwo Spirit(カナダのindigenousのトランスジェンダーに類似するアイデンティティカテゴリー)に相当するものが発見できたら、それを名乗ろうと思っています。ヘテロセクシュアルでもないです。単純なカテゴリー分けだと、どれでもなくて困っておりました。セックスワークも貧困も自分の問題です。(略)

それと、neurodivergentですし、NYにオフィスをかまえる精神科医から、やっとC-PTSDの診断を受けました。大学院時代から、調子を崩していましたが、(略)休職前に倒れてから、精神科をたらい回しになり(みんな大学に在籍しているし、それなりに有名なんですが。好きでそういう人を選んでいるつもりはないです)、福祉にもつながれませんでした。福祉につながるには、診断書が必要だからです。自分が論文にすでに書いたことを、繰り返しやられて、勘弁してほしかったし、それ自体について、かかわっている全員に説明をしましたが、説明すれば説明するほど、それこそが症状ってことになってしまいました。

最初にやられる質問紙にしても(病院が買っている心理検査ですけど)、答えが、はいorいいえ、なのに、疑問文が二つ並んでいて、ダブルバーレルかよ、と思ったり(で、それについていちいち聞くので、うざがられ)、ヘテロセクシュアルが前提の質問は、答えられませんと突っぱねたら、先週精神神経学会でそれについて話したのに、マイクロアグレッションでごめんなさいと、謝られ、マイクロアグレッションではなくあからさまな差別だからと思ったり、(もちろん、そこまでは言いませんでしたが)検査をする前に、検査をした結果、ケアを得られないと、困りますが大丈夫ですか?と確認したり、検査にしても、最初に一通り説明して同意を取るべきだと説明したり、しかし、4回か通って検査したあげく、自分史を話すとフラッシュバックになるから困りますと言ったのに、やらされて、ほんとにフラッシュバックしたら、他の病院に行ってください、ということにもなったので、訴訟ものです。

結局、調子を崩し続けるばかりで、9月に休職してから、日本でかかれる精神科医に会えていません。

しかも、dissociationの結果、トラウマ関連書をみごとに読んだことがなく、なんとか読めるようになっても、症状がきつくて、やっぱりあまり読めません。それでも、なんとか北米でなら読めた、宮地尚子さんが担当している外来にも、初診の予約が4ヶ月待ちでしたが、会いに行ったものの、共通の知り合いが多すぎて、主治医になってもらうのは、あきらめざるを得ないと思いました。

友人の精神科医からは、何もかも捨てて日本から逃げていいと、言われていたんですが、みんな日本でなんとか闘っているのに、私だけで逃げられるわけがないと、日本から撤退するのを、なかなか思いきれませんでした。仲の良い活動家は、みんな逃げるよう提案してくれますし、宮地尚子さんにもそう言われて、最終的に、持ち場は自分で選んだら良いので、どこに居ても共闘できるから関係ないと、私の一番頼りにしている奈良の活動家に言われ、逃げてみることにしました。

さて、初めてビクトリアに住んでから、5年目の春ですが、ずっとメイクセンスしなかったことが、やっと分かりました。大学に進学以降、私は日本においても、極めて多様性の高い人たちの中で生活していて、それでもどうにもならずにカナダに逃げて、ビクトリアの中でも極めて多様性の高い人たちの中で活動しておりました。しかし、その人たちが外れ値であることについて、よく分かっておりませんでした。ビクトリアにおける多様性の理解の平均値を、それとして経験することができるようになると、その理解は、日本に住んでたときよりひどいか同等、なことに気がつきました。

つまりひどいところ(出生地)から逃げ、日本の外れ値でも無理で、カナダの外れ値はかなり良かったが、それがカナダでも外れ値、なのに気がついていなかった。カナダのふつうくらいの多様性は、日本の外れ値に多様なところより、多様性が低いです。

そのカナダの外れ値においても、アジア系 ×2SLGBTQIA+ (最近はこの順番になっているのですが)は、かなりひどい差別の中で生きていますが、ここまでわかるのに4年以上かかってしまいました。。。

(註 以上の三段落分の認識は、その後、別なものに変更されました。別稿とします。)

4月の頭に、Moving Transgender History Forwardという国際学会で、ジュリア・セラーノ(日本でも翻訳が出ました)の話の後に、ジュリアの前にひざまずいて、私は30年間の研究者人生の中で、自分のことを人に言えたこともなく、自分のアイデンティティも決められなくて、自分が弱いからだと自分のことを責め続けてきたけれど、あなたの講演を聞きながら、自分のことを責めるのを、まず止めることにしましたと、言ったら、ジュリアに、自分のことを責めることはないよ、キャリアがついても、自分のこと言えない人はたくさんいるよ、と言われました。いつかあなたのようになりたいですと、伝えました。それから、いろいろなことに合点がいって、speak outし始めて、現在に至っています。

ちなみに、アウティングというのが、してはいけない行為 (日本でも職場では法律違反) になっておりますので、よろしくお願いいたします。釈迦に説法ですみません。(日本でも関連書籍が沢山出ています。松岡宗嗣さんは立教の授業にも来ていただきました。これも釈迦に説法です。)

そうしているうちに、●●さんの書く申請書で、ハードディスクにのみデータをおいて、Wi-Fi接続の接続を切る意味も、データを貸金庫に預けているという意味もよくわかりました。私が、データの中の個人情報を守るために、いろいろしていることも、自分が訴えられないようにするためと日本の人たちには誤解され続けて、ほんとに困っていました。しかし、私自身、同意書で同意していないことをされたときに、調査者や大学を訴えて、勝てるようにするためでもあることを、それが「コミュニティのためにの倫理申請」の意味だということを、理解し切れていなかったと思います。

ただ、オンラインにつないだら、もはやすべてがどこかの何かに残る現在の状況では、もう公開する予定で撮らないデータは撮れないと判断しています。

また匿名でいることは、何かあっても黙殺されることになると、やっとわかりました。Transgender Day of Remembranceでは、その年に殺されたことが記録されている世界中のトランスジェンダーの名前を読み上げるイベントというのが恒例です。こちらのそれで、ボランティアで名前を読み上げたりもしました。そうして、もし自分に何かあっても、TDORで名前を読み上げてもらうことすら、かなわないのは、勘弁してほしいし、日本で我慢をし続けたように、こちらでも我慢をするのは勘弁してほしいし、こちらでは、人種やジェンダー関連で差別するのは犯罪なので、この小さいアジア人が自分を訴えるなどと誰も思いもよらないのでしょうけれど、できるのだからねと、思ってやっております。

(日本の警察も、国勢調査も、LGBTQIA+をカウントしていません。前に、調査票での性別の聞き方について意見を書いてメールしたことがありますが、
セクシュアリティについてもジェンダーアイデンティティについても、聞く項目がないからです。ヘイトクライムで、逮捕することも、困難です(法律がないから)。

G7の中で、唯一、法律がなく、問題になっていますが、どうにもならなそうです。中国国内で、(民族を理由に)強制避妊手術をさせられそうになると難民申請ができますが、それなら、日本で法的に性別を変えるなら、去勢が必要なので、それを強制されていることを理由に難民申請できそうですが、している人が居るかどうか、確認中です。

私はできることとできないことの凸凹がひどすぎるんですが、 博論も学位論文が始まってから最短で出せたし、運良くポジションを得られてとんとん拍子のように見えます。しかし、実は、人に言ってもなんのことかわからないような悲惨な経験を、就職後も、し続けています。日本語で考えるとぼんやりしてしまうのですが、英語で、私の言ってることを相手が確認しようとして、英語でずばりと言われると、自分の経験していることの悲惨さに、自分でもびっくりします。例えば、初めて授業を非常勤でした際、すさまじい目にあっても、「若い女性のジェンダー教員の通過儀礼」だから(イニシエーション!)と言われて、なすすべがなかったです(ちょっとしんどいので書きません)。起きたことを同僚に相談しても、信じてもらえません。たいてい、彼らは男性で、しかも何かする相手は、かなり人を選んでやっているので、私のしたことなんて経験しようがないからです。

例えば、●●先生が事務の人に頼んで、愛想を振りまいて引き受けて居た人に、●●先生の後ろに並んでいて同じことを頼んだのに、できないと怒られたり、私は自分の在職中、人は入れ替わるのに、必ず私を怒鳴る人がいて、事務に行くと具合が悪くなるので、一年間くらい行けなくなっていたり、怒鳴られた後、トイレで女性の事務員さんに会ったら、何も言っていないのに、代わりに謝られたり、怒鳴っている人に、なんで怒鳴るんですかと聞いたら、怒鳴ってないです!と怒鳴り返されたり、ギャグかよ、と言うことばかりです。

で、後で述べるのですが、そういう私の記憶は、ビデオ録画形態です。(そのせいもあって、調子が悪くなりがちだと思います)

でも、この国には、私と同じように、「運良くポジションを得られてとんとん拍子のように見え」る人が、世界中から逃げてきているようです。どれだけの人があなたのポジションをほしいと思っているかわかっているのかと、脅されてきたような人(ほんとに言われたんですが)です。(略)

また日本でも、東京の家の近所のコミュニティでも、私の周りには、私のように、信じられないようなひどい目にあってきた人がたくさんおり、明らかに確率統計的に変です。(中略)今日は(こちらの)その一人と話した際に、あなたはクラックなノンバイナリーだねと言われ、日本では、私が、大方がクラシックなトランスジェンダーだと思って失望していたのに、こっちにきたら、私がクラシックかよと思い、複雑な気持ちです。

私は、肌が黒いので、あだ名が「黒人」か「フィリピン」だったのですが、黒人は人種だしフィリピンは国の名前なのに、それを日本人の私に言って、差別になるのはどうしてなのか、と思い、それを研究して研究者になりたいと、大学に進学しました。
中学に入るくらいかに、私が「うちは貧乏なので大学に行けない」と泣いて、母親が偽物の通帳を見せて、私を泣き止ませたエピソードを話す母親のビデオ動画が、私の頭で自動再生されました。

私は、日本人女性にはなれないから、シスター(黒人女性)になろうと決めていました。1990年代には、黒人女性が性的主体性を獲得するための歌がたくさん、ビルボードで上位にきていたので、田舎でラジオを聞くしかないティーンの私には、他に得られる情報はありませんでした。(今聞くと、出だしが、Prejudice, I wrote a song about it.)とかで、ティーンの私はこれを聞いて何を考えていたのか、と思います。

他にも、Before putting on this record, understand. This is for all of my ancestors who were raped, killed, and hung, because of their pride for freedom, and for dignity. They died for me, and they died for you. This is for them, you know that, yes, even today, in 1992, we are still fired up, and we’re still talking about revolution.とか、現在でも、自分について歌われているようで、ひきます。30年経っているのに。
(久しぶりに自分でトランスクライブしました笑)

そうして、佐藤郁也『フィールドワーク』を持って、
大学を休学して北京で一年過ごした後、アーバンアンソロポロジーをやるか、シカゴ学派的な手法でやるかで、ずっと迷いながら、一年間、在日韓国キリスト教会に通い、そのあと一年間、在日ブラジル人が集まるカウンター付きのブラジル食材店でただ働きして、エスニシティとジェンダーを、同時に問題にして研究するのは難しすぎるから、ジェンダーからやろうと決めて、それならトランスジェンダーしかないと思い、社会学理論が魅力的なので、社会学でやってみることにして、ともかくエスノグラファーでありたいがために、研究者を続けて、そうして、わけがわからないまま、30年近く経ってしまいました。

それでも、こっちでも、誰とでもちょっと話し込んで、(スーパーの店員さんでも、郵便局員さんでも、韓国食材店の店員さんとか、カフェで飲み物買うのでも、外食して注文するにしても。こちらのひとは話し好きなので。まぁ、東京の自宅の近所でも、やっていましたけど。コーヒー飲むのも蕎麦を食べるのでも、地域のネットワークにのって、彼らのそのネットワークでエスノグラファーをしていないと、外で飲み食いする意味は私にはないので。そういうことをせずにいられなくて。チェーン店でもできますが、東京の家の近所では、個人経営で、同世代が2代目、みたいなのが一番面白いです。二つのネットワークが微妙に重なり合いながら存在していて、しかし、徒歩圏内の隣の駅付近は、また別のネットワークになっているし、みたいな感じです。カフェで仕事したり、カウンターで飲んでるのと、同時にやっているんですが)そういうことをしていると、次々にいろいろなことが、メイクセンスしていき。

調査しようとしてしているわけではないし、興味深すぎるし、趣味なのでしょうが、いつも必ず、そういう感じになり、それが私の生活の形態なのかもです。

さらに、EMCA的手法を訓練し続けたので、人が何かを言って、それに対する理解に自信がなくても、その意味は次の順番で決まるので、この人がこういう反応だから、私の思っていることは当たっているのだろう、みたいなことを考えるのも面白すぎるし、私の記憶はビデオ録画の形態なので、自分の好き放題にいつでも再生できるわけではないのですが、後から再生された際に、また何かがメイクセンスしたりして、面白さが止まりません。

それで、メイクセンスするのにあたり、3重か4重か、それ以上に、私としては個別具体的なビデオデータを検討しているから、私にとっては、誰かが私のメイクセンスした内容に反論をしても、どんどん容易に退けられるようになっていきます。自分の得たなにかについて、複数の違った感じの人に話して(世間話して)、いろいろと確認するので、それもエスノグラファーとしての私が、生活しながらやっているのですが(世間話だし)、やっぱり確証を得ていく結果になります。

以上のことを、研究として、論文化する場合には、
私が選んだEMCAの方法論上、具体的なデータをもって記述することが求められるので、実際に記録できたもの(インタビューの録音や録画やトランスクリプト)を使っている、というだけです。インタビューをすること自体も、公式にいつもやっていることをする、だけなので、そんなに普段の生活と違うことをしているわけでもありません。

そうして、EMCAのデータ・セッションに散々出たり、共同研究にも複数に長く参加した結果、EMCA者が実際にやっているのは、(私からすると)適当に選んだ断片を分析して、(その選び方にセンスが現れるのでしょうか。学生が単位のためにやっていたりするけど)それで学会発表をしたり、論文を書いたりして、まじめな人の場合には、その後にコレンションを作って再検討している、ということだと私は把握していて、私としては、ジェグロフの書いていることと順番が違うので、ギルティだろって思うんです。

それに対して、私が実際にエスノグラファーとしてしている活動は、私の知っていると思っているEMCAの実態より、きわめてコレクションベースなので、
●●さんのEMCAの説明に、カチンとくるしかないです。それに、自然言語に習熟しなければ、上記のことはできません。

日本語と英語とマンダリンのそれなりの能力を同時に維持できるようになると、(なんでか日本語とどちらかしか話せなかったんですが、現在、中華系のネットワークで主に生き延びているので、マンダリンと英語をミックスして使わないと、互いにうまくいかないので、もはやしょうがない感じです。ただ、新しく始まった分類だと、それこそがdissociationの一種らしいです。

トラウマについては、日本語で話すとすぐにフラッシュバックになっていたのですが、英語で言えるようになって、それですさまじいフラッシュバックになったりもしたのですが、日本語で言えるようになったりとか、日本語でも英語でも言えないけれど、マンダリンなら言えるとか、マンダリンで言えたら日本語で言ってみるとか、その言語と経験のコンビネーションで検討した結果、何かがメイクセンスします。日本語でした経験は日本語で考えるとぼんやりしているけど、英語で言われるとびっくりし、英語でした経験は英語で考えるとぼんやりしているけれど、日本語で言われるとびっくりする、中国語も同様、3言語とも語彙がないなら、それはdissociationの結果だとか、これこそ、自然言語の習熟をベースにエスノグラファーをやっているってことなのに、●●さんの言い分には、まったく納得がいかない、とまたカチンときています。

(直訳というのは、私にはかなり難しいです。同じことを言うのに、違う言語では文章の作り方自体が違いますので。それで、dissociationはマジックだと思うのは、例えば、人が私のことをtoo troublesome だと思っているいうことを英語で言えるんですが、誰かが私にとってtoo troublesomeだと言うことができず(dissociationして)、しかしマンダリンでなら言えます。

で、そういうとき、人は、よく英語ではannoyingって言うなと思い、ググると、「”annoying”はイラつかせている人やものに対して使います。 (Bugs are so annoying. 訳)虫が、本当にうっとうしいです。 イライラした対象は虫であり、その虫に対するイライラした感情を表しています。」と出て、なるほど、私には日本語でも英語でも感情に関する語彙が欠落しているからかマンダリンでなら言えます。北京は、私がどんなにエキセントリックでも、別に問題にならなかったからです。日本から脱出して住んだ北京は、NYとかサンフランシスコみたいに、人びとが多様すぎてコントロールができない感じ、の都市で、マンダリンがなまっていようが、もはや当たり前でした。だから私は「南方人」なのに「日本人だなんて嘘つくな」みたいなことをよく言われていました。私のマンダリンの能力は中国の大学院進学可能レベルでしたが。

カナダも、移民の英語のできはかなりまちまちです。というより、言語能力に限界があるのは、スーパーコモン=めっちゃふつう?だからで、テストの成績を出さないで移民する方法も、限界に言及してテストを免除してもらうことも、できるからです(知能指数と関係なく。知識人にも、大学の教員にも、学位持ちにも、生まれも育ちも北米でも、よくいます)。ちなみにカナダでは、ペットとも、またポリアモリーでも、全員分まとめて移民の申請ができます。

また私の日本語での感情の理解は、小説の登場人物の描写に依存しています。だから、何かを、あの本のあの登場人物のあのときの気持ち、として理解しています。それで、この「として理解する」のが、ものすごくdissociationだと思います。

実は、EMCAが私にとって極めてありがたいのは、「発話は行為として理解できる」と知る前は、私には会話の中で、何が起きているか、そもそも、よくわからなかったからです(これについては分析中です)。ついでに、dissocistionって、日本語にするのは極めて難しいです。しかし、日常用語でもなく(いろんな人に聞いてもわからず。世間話の中で)、それって何だろうと思っていたのですが、
associationの逆か!と思ったら、なんとなくわかりました。)

以上のような、私の生きている経験=エスノグラファーをすること、のやり方は、●●さんがEMと差異化するエスノグラファーやエスノグラフィーとは、全く違うと思うのですが、私は科学を信仰していていたのもあり、どうしても●●さんのEMCAと自分のエスノグラファーとしてのあり方の距離を縮めたくて、しかし、ずっとブロークンハートだったんだと思います。

でも、そのコミュニティの自然言語に習熟してのみ、経験できることを経験し、それらの細部をそぎ落とすと、重要な何かが失われるし、ディテールにこそ真実が宿るので、という言い方をすると、また嫌がられそうですが、納得がいかないです。

あいかわらずで、ごめんなさい。(現在、ホームレスになりそうです笑。私と「同系統」の人にはありがちです)

●●●●(they/them)

ここから先は

0字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?