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Overthinking
「考えすぎは良くない」とよく言われる。しかし、私の頭は基本的に、起きている間はずーっと動いているし(つまり、何かを考えているし)、分からないことは分かるまで考えているから、考えても仕方のないことを考えることを「考えすぎ」と言うのかと思っていた。しかし、「考えても仕方のないこと」とは何か。
それでさ、こういう私みたいな人に対して、鬱っぽいから、そうなるんだとか言うんだけれど、鬱の症状だとされるものは、ほとんど持ってないので、(まぁ、持ってても関係ないけれど、言っておいた方が効果的なエスクキューズなんですわ)この事態を、もう一歩ひいて観察してみていた。
誤解を恐れずに要点を述べるなら、みんな色々考えないで生きていられる社会を生きていることになっている、んである。
これをには、いくつかの側面がある。
1) まず、「人がどれくらい考えているか」を計量するのは困難だ。そもそも状況をどう計測できるか、それを計算に含められるかという問題があるし、などなど。しかし、だからこそ、トリッキーだ。つまり、人がどれくらい考えついるかを検討せずに同じようなもんだろうと思っている、ことになるから。
2) 人がどれくらい考えているのか、本当はわからないけれど、おんなじ様なもんだろう、ということを前提に、「考えすぎる人」やその問題状況があることになっている、ということ。ポイントは、それが問題状況だとされている、というそのこと、である。
3) では、なぜ、問題なんだろうか。と「なぜ」の問いを立ててみよう(ってか、その問いにより、既存の知見を整理しよう。)
3-1) 複雑性の縮減のため
ルーマンの言うように、前提についていちいち考えると困るしかないから。
3-2) 社会統制のため
3-2-1) 問題として考えることで、それを解決しようとされると市民を統制しにくくなるから。
3-2-2) そのため、考えすぎを良くないこと、あるいは病的なことだと位置付ける
たくさん考えるとは、どれくらいの量かをみんな知らないまま、考えすぎは病理だから、よろしくないとして、考えないでいいことになっているし、そもそも考えすぎは機能的に問題状況になる。
4) しかし、上のような「なぜ」という問いが、これまたトリッキーだ。なぜなら(笑)、あることを覆い隠してしまうから。それは、多くの人が考えるということを、そもそもあんまりしていない、あるいたできない、という事実である。
5) 重ねて、しかし、になるんだけれど、このことを大っぴらに言うと、叩かれる。オレたちがあんまり考えられない脳みその持ち主だっていうのか、みたいなことになるから。そのため、4)について探求することは、ブロックされている。
6) しかし、大学は、考えることのために、もともとは存在してたんだよね。それは、社会を良い方向に変えていくためであり、そのために己を磨くため、だったのよね。
みんなにそれを可能にするには、みんなが考えられる存在で、常にアンテナを張って、いろんなことを考えられることを前提にしている。そうしないと、一部の能力のある人だけが高等教育を受ければいいことになって、社会階層などが固定されて、不健全になってしまうからさ。
8) しかし、そのみんなが学べる高等教育の存在で、儲けているのは誰か。一部のプリビリッジドなんだけれど、その儲けている人たちが、3)を必要としてるんだよね。
以上のようにして、
「本当はみんなそんなによく考えないで生活していて、それはそうでないと統制し、儲けている側に支障が出るからで、そもそも考えないことにより機能不全も起きないことになってるのを利用しつつ、考える力のあるやつは抑え込み、考える力のないやつは煽って、そんなによく考えないで生活している、という状況を達成している」
のが、現行の日本社会、なんだろう。という見立ては、いかがなもんでしょうか?
(フラッシュバックでしんどいのに、ミーティングが手違いで延期になったので、気晴らしです。しんどいと、ややこしい問題を解いてみたくなるのよ。)
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