博士論文の覚書2024/07/08

一晩経つと、またかなり酷いことだったと、分かることになった。

ともかく、子どもをほったらかす、ほったらかし方が凄かったので、なんとか子どもが怪我したりしないようにと、奮闘した。その様子は、買い物に行く道すがらなどで、たくさんの人たちに目撃されている。

パトカーに車を止めらた時、不運で酷いことが起きたと思ったんだけれど、私が、助けられようとしていた。気をつけなさい、味方だよと、信号をめっちゃ出されていた。これについても、情報が錯乱らせていたけれど、どういうことだったか腑に落ちた。

ギリギリ間に合ったので、逃げることにしたのも、判断として合っていた。子どもが心配になり、警察に電話するか、判断しかねて、宿の人に相談した時、私たちが長く話し込んでいるので、うるさいとクレイムを言いに来た人が居たから、私たちが話し合いをしているのも目撃されている。

何より、子どもたちが、目撃者だ。それを誤魔化すことは、不可能。

ここで、警察に電話するべきか、まだ迷っているけれど、相談をして納得をしたから、勧められたように、落ち着いてから児童相談所に連絡する。

この話し合いの経験も素晴らしかった。なんて、私は幸運なのかと、思った。逃げるようなことに、巻き込まれないのが肝要なのですけれども。

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