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倒れてもまた立ち上がって生きる

「そんなこと出来るはずがない」ことをずっと達成してきた人生です。今、私が達成したいのは、博士課程に進学すること。勉強したいから、でも、博士課程に行って箔をつけたいから、でも、ありません。多くの人に協力してもらい、せっかく合格したから、とか、直ぐに永住権取れる絶好の機会だから、とか、様々な理由がありますが、どれも本当の理由ではないです。

本当の理由は、無理だ無理だと言われるから、みんな無理だと思っているから、です。そう言われると、めっちゃ闘志が燃えるから、です。

私は人を助けて、倒れて、でも立ち上がって、それを繰り返して、でも少しづつ前進している、そういう人が大好きだし、私もそうありたいです。私は、そういう人たちのために生き、マジョリティのために、生きるつもりはないです。そういう人たちは、何だかんだ言って、マジョリティのために、そうしてるんですけれども。

人を助け、倒れたり立ち上がったりしている人たちのために生きようとして、死ぬなら上等です。自分で死んだりはしません。路上に投げ出されて、殺される仕方でしか死にません。そうやって、お前も囲い込まれると思うでしょうが、意思でそこから抜けます。

日本では、現状に、現行の社会に、従う仕方で達成しましたから、カナダではそうではない仕方でやります。みんなをまとめて救おうとする、そういうやり方で抜けます。

私の人生なのだから、私の好きなようにします。誰にも邪魔させない。祖先にも、輪廻している前世にも、後世にも。お前ら、自分の生の落とし前は、自分でつけやがれ、自分のケツは自分で拭きやがれ、です。

自分で自分の親を選んで産まれようが、そうでなかろうが、関係ありません。私は今のこの生を、好きなように生きます。

分かってなくて、上等。私はあなたの見えている何かが見えていないかもしれませんが、私にはあなたの見えていないものが見えます。人なんて、サイキックだろうがなかろうが、そんなもんです。

あなたには、私の見えているものを利用していただければと思いますが、今の私の意思を損なう意見は拒絶します。

こたわりが強すぎるって、そうでなかったら、そもそもトランスじゃないです。トランスはこだわりじゃないと言うかもしれませんが、それは視座の違いです。

移民の世代間の分かり合えなさは、移民研究の古典的な問題です。それなのに、今もそれを体現しているのは、クソです。その自分のケツを、まず自分で拭って下さい。

ヤマトなんだから、他の日本人と大して違いません。アタシからしたら、ね。敢えて言っています。

コミュニティ内を分断するのは、コミュニティから孤立させるのは、大きな力の維持の典型的なやり方の一つです。そこを再点検したらいかがでしょうか。

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