『誕生日なんて大嫌い』
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誕生日は、私にとっては、自分の生まれた瞬間に、家族が失望した日。私のジェンダーのせいで。
よくわからなかったけれど、誕生日は、私には、妙に誰かに側に居てほしい日。でも、不思議なことに、それが自分の思いとは裏腹に、難しい日。
何かを大嫌いだと、人が言う理由は様ざまだ。本当に嫌いな時には、大を付けないのかもしれない。大という形容には、何か「うらはらな」含意が込められているように思う。
私が誕生日は大嫌いだと言う時の、その大には、本来はそうではないはずであるのに、私にとってはそうであること、に関する気持ちが込められていると思う。
つまり、がっかりしているとか、悲しいとか、寂しいとか、やるせ無いとか、そんなはずじゃないのに悔しいとか、そんな気持ち。
いつか、誕生日を、自分のことを無条件に愛してくれる人と一緒に過ごしてみたいと切望する一方で、そういう想いが、依存や支配と隣り合わせであることを、すでによく知っているし、詮無いこと、なんである。
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