見出し画像

『シングルプロセスワーク(博論理論断片2)』

入国時にイミグレで止められて、1時間ほど費やしましたが、それでもイミグレの人たちがとても温かかったです。そして、こちらの同胞に、思わぬプレゼントのようなオファーを、私が受け取れるかはさておきしてもらい、泣いています。しかも、昨日から今日にかけて3つも。

ここのところ、Facebookやメールでしていた、日本に住む日本人かその関連の人であろう人たち、そして日本出身の人たちとの、酷い仕打ちと呼びたいやり取りとの落差に、別の意味で泣いています。大好きなダンスのクラスもすっぽかして。

ずっと苦しんでいるのは、諦めること、です。

自分のしてきたことが報われないのを、諦めきれない。知ってましたが「業が深い」です。三島、太宰、芥川と、私の好きな三大作家のように。しかし、私は自殺しないと決めている。

そうして、4日間で、43個もコンテンツを作りました。なぜそうしているのか、そして、苦しい苦しいと苦しんでいますが、何に苦しんでいるか、分かるようで分かりませんでした。きっと、溜め込んでいたものを吐き出してるんだろう、とは、思っていました。

考えているうちに、以下の結論が出たかな。暫定でも。EM的なのですが。

日本では得られないのが当たり前で、こちらで得られるようになった何かに気がついていませんでした。ただただ、こちらでは生きているだけでエンパワメントされると思っていました。そうしているうちに、こちらに慣れたので、特に日本の人とやり取りしていると、あるはずのものの不在に気がつくようになりました。

それは、プラクティカルなヘルプ。プラクティカルなアドバイス。プラクティカルな励まし。プラクティカルな暖かさ。この最後のは、ハグとか、背中を撫でること、とかかな。

だから、日本の人に「幸せになってほしい」と言うのに何もしてもらえない、と、私は思って傷つきが増していたんだと思います。言われていること自体を、もう少し分析的に考えても、「幸せになってほしい」と言って何もしないのって、効果として、幸せになる努力を私か、自分ではない誰かに丸投げしてる。あるいは、自分が何かすることを、放棄している。

そんな風に、日々、プラクティカルな何かが、きちんと得られていること。それが、こちらで生きているだけでエンパワメントされる理由かな。

さらに、自分はずっとずっと、日本でも、プラクティカルな何かを渡そうと、全方位的に頑張ってきたのに気がつきました。それなのに、日本の人たちから、プラクティカルなものをもらえることは、滅多にない。結局、報われないとつらい。そして、業が深くて、報われなかったことを諦められなくて、とにかく、つらいのだと思います。

そういうわけで、具体的にドネーションしてもらうこと、あるいはカンパしてもらうことで、プラクティカルな何かを得たくて、それを訴えてるんだと思います。それで、きちんと受け取って、報われないと思っていることから、脱したいんでしょう。

でも、得られない。明確に書いて、しかも個別化して、具体的に頼んでも得られないので、諦めるしかないです。

そうして、諦めるために、コンテンツを作り散らかし、そうしているうちに、言えないとずっとずっと溜め込んでいたことが、ちょっとずつ言えるようになってきて、そうして、コンテンツを大量に作ることになっている、ようです。つまり、相乗効果で、増えてるわけですね。

以上、これは、FacebookとXに、細切れに書いたのを集めて完成させましたが、一人で、公の場所に書き、レスがなくても、「プロセス」できるタイプ、のようです。きっと、書く・見守られてる、というやり取りを想定してやっているから、かなと予想します。


活動支援に、カンパをお願いいたします。
記事を買うのでも。直接振り込みでも。誰のものも、拒絶しません。

ここから先は

0字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?