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『高嶋政伸のインティマシーコーディネーターに関するエッセイの問題(セクシュアリティ考 番外)』

新潮社の高嶋政伸のエッセイについて、以下の点について、コメントをツイートしました。

そもそもカナダ的には国民放送で、子どもに対する性暴力のシーンが流されること自体があり得ないと思います。しかも、近親相姦。二重にあり得ません。まず、日本では、なぜ許されるのか、という点について検討されるべきです。

演者の感想や解説や言い訳について論じるのは、その後だと思います。インティマシーコーディネーを用意しようがしまいが、そもそも演者に負荷を強いているのが、どういうことなのか、必須であったのか、必須でないのにさせたなら、それが可能になっているのはなぜなのか、考えるべきです。

インティマシーコーディネーとはどんなものかについても、注意が必要です。日本のように、身体に触るなどバウンダリーを犯すことに躊躇のない地域と違い、まず人の身体に触れる際に合意が必要だというような、他者の身体への尊重が重要視される地域で、日本では特に問題にならないようなロマンティックなシーンのためにも、インディマシーコーディネーターは存在します。

日本では、人前で、カップルが抱き合ったりキスをしたりすることには、現在でも、それなりの抵抗が生じます。にかかわらず、なぜ、コンビニ等にエロ雑誌が並んでいることには、そんなに抵抗が生じないのか、公共交通機関の広告でも同様なのか、を考えるのが良いと思います。

その延長に、ロマンティックなシーンとは質の違う、あえて書くなら強姦のシーンを、しかも子どもに対する強姦であり、加えて、子どもに一生の傷を背負わせ苦しめる近親相姦のシーンを、国民放送が放映する、ということが生じています。

日本では、それに対して、料金が義務として徴収されています。

トランス女性がトイレに入り、実際に性犯罪を犯す確率とは全く異なって、多大な確率で、これを見て、フラッシュバックを起こす人たちが存在します。エッセイの書かれた記事についてもそうです。抵抗して叫ぼうとする子どもの口を、手で塞ぐその写真で、どれだけの人が辛い気持ちになるか、想像する力はないのでしょうか?

フェミニストが闘うべき問題とは、こういう問題であると、私は確信します。

そして、被害に遭って、それでも必死で生きているトランスも、シスも、立ち上がって一緒に闘おうと、一人の被害者として、私は言いたいです。


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