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助けの求め方講座1

幼い頃から、性的虐待含め、虐待を受けて育ち、それなりに頑張ったものの、24年間DVを受けて、助けを求めても助からないから助けを求めるやり方がわからない人生を長らく生きていた。

大学院時代に、性的被害にあったり、強姦魔逮捕に協力させられて警察からのセカンドレイプに遭いまくって、しかし、大学院生として原稿に追われていたのを含め、助けを求めたけれど、助からなかったし、教員生活の中で助けを求めても、求めている私も、求められて手に余る周囲も、みんな困り切っていたと思う。

やっと、アイデンティティをアウトして、自分が何者かも訳が分からなくなっていたのから立ち直りつつあり、助けを求めても助からない相手とはどういう人なのかも分かってきて、少しづつ、助けられている。

もう10日間くらいか、PayPalが凍結されるかも、という事態になっていて、既に日本の銀行とクレカも全て使えないので、困り切っていた。連絡できると思った人や、会う人会う人に、助けを求めた。しかし、どうにもならなかった。

いよいよ切迫して、難民仲間にリーチしたら、トランスたちが即座に対応してくれて、私が何が分かってないかも確認してくれた。Facebookに投稿したら、これもまた即座に、様々な情報が寄せられて、メッセージャーで専門家にプロフェッショナルなアドバイスをもらえて、他にも、これから使えそうな情報をたくさん得ることができた。ほんの一時間か、そこらで。

昨年の春にこちらに来て、夏にアウトして、助けてと頼むことで、そのことを非難されたり、助けてもらうことをマネージするよう迫られて調子を崩したり、散々な目に遭った。もちろん、それでも助けてくれようとした日本の友人たちには感謝をしているし、助けてくれようとすることで、しんどい思いを彼らもしたと思う。そして、それが日本という国なんだと思う。

そうならない助け合いの国で、助けてくれる人たちと、支え合いながら、皆と同じように時々倒れながら、でもジャスティスの追求を支え合いにより成し遂げながら生きていこうと思う。

こちらへの移民だろうが難民だろうが、日本の人たちとは基本的に上手くいかないし、お金を払わなければ助けてもらえない。しかし、日本から移り住んでいる人たちも、また少数者。互いに少数同士であって、しかし彼らと私は、トライブが違う。ネットワークが、違う。しかし、それだけのこと。

ここは、多民族国家で、分かり合えない人たちも、分かり合える人たちも、混ざり合えなくとも共存する、共在する、共生するパーツ。そのことに救われる。

私は、難民申請のために、私のドライブの、またアライの、同じネットワークに乗った、たくさんの人たちに助けてもらいながら、苦労しながら、それでもボランティアもしているし、ドネーションすることもある。みんな誰かを助けられるし、誰かに助けられている。そういう中で生きている、一方的に奪われない気楽さ、平等さ。そういう草の根運動の中での生活。

その生活を、その生活の可能なカナダを、私は、改めて、心して、選択し、ここに記し、宣言する。

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