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人の期待に応える

何をしても、やっているうちに、自分のことが後回しになる。

人の期待に応えると言ったときに、様々なレベルがあるので、誤解が生じやすいんだけれど。

例えば、偏差値の高い学校に行って、世間的に良い会社に勤めるべき、みたいな価値観は、私は正直どうでも良いと思っているんだけれど、やり続けたい仕事の都合上、そういう価値観にのっているかのような経歴になっている(かもしれない)。でも、正直どうでも良い。しかし、どうでも良いことにすると、またそれを攻撃されるし、経歴は、何かをする上でのベネフィットとしと使えることもあるから、ベネフィットとして使えるときには積極的に使ってもきた。なので、余計に本性が分かりにくいんだけれど、そういうこと自体も攻撃されるよね。

ほっとけ、である。

性別とは、こういうもので、女とはこういうもので、男とはこういうもので、という世間の期待がある。それらには、翻弄されている人生だ。今でも。そして、そういう世間の期待とは、まさしく規範のこと。

私の常なる探求の対象である。

しかし、私が苦しんでいるのは、上の二つでは、ない。社会の価値観でも、社会規範でもない。というか、それらでも苦しんでいるけれど、本当に苦しんでいるのは、それらではない。不意に、そのことがわかった。

ケースワーカーが、あなたのところに会いに行けるよと、言ったときに、私は本当に困ってしまって、そうして、しかし、どうにもならなくて、以下のように返信をした。

I'm not used to having someone do things for me, or rather, I've only ever had terrible experiences, so when someone offers to do something for me, I don't know how to respond. I have too many issues, but I'm still not sure if it's OK to ask for help or not, because everyone is going through hard times.

ここまで来るのに、ケースワーカーから連絡が入ってから、一週間以上経過していた。この連絡ができたのも、ここまで繋げてくれた人たちから、別のカウンセラーに繋がったのに、二回目で既にカウンセラーや助けてくれる人の期待に応えるために会いに行こうとして、しかし、無理が出て、クラッシュしてしまったから。

ともかく、一旦休もう。

つまり、「人の期待」には、これがこうなったら嬉しいな、というそれぞれの人の気持ちがあり、私が一番に翻弄されるのは、それである。

これは、親にコントロールされた結果。この間、年の差の大きいシンクロが、母に対して何をしているのかを見て、私が悟ったし、カウンセラーに会うのが自分のためでなくなり、クラッシュして、本当によく分かった。

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