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7月新刊『改訂新版 鐵舟居士の真面目』「剣・禅・書」の達人に学ぶ!

「破天荒だけどやさしい」
小説『オリンポスの果実』が好き。初めて読んだのは19歳か20歳くらいのころかな。著者の田中英光が早稲田大学在学中の昭和7年(1932)、ロスアンゼルス・オリンピックにボート選手として参加した経験が物語の舞台。陸上競技の女子選手に想いをいだきながら結局は片思いするという青春ノベル。戦地に召集された主人公が当時のことを思い出しながら、最後に呼びかける「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」には、胸が熱くなりますね。思えば僕は、体育会系でありながら、文学や映画、社会問題(当時まだ成田空港闘争が続いてました)に関心をもっていたし、当然恋もしていました。『オリンポスの果実』を書いた田中英光は、戦時中非合法の共産党で活動したり、巨体・酒豪で知られた「無頼派」の作家(最後は師匠と仰いだ太宰治の墓前で睡眠薬300錠と焼酎を1升飲んで亡くなった)。なんともけた外れの人で、いろいろ迷い、自分を持て余していた若い僕は憧れたのでした。
 
さて新刊の主人公「山岡鐵舟居士」です。
江戸無血開城の立役者、剣・禅・書の達人は、はたまたけた外れの人です。高下駄穿きで成田山往復(早朝出発、夜帰着 往復約140キロ)。下駄の歯は削れ、全身泥にまみれて戻ってきたという。剣術では7日間立ち切り1,400試合をしたのに身心ともに疲労しなかった。日常は午前5時起床、6時より9時まで剣術指南。正午より4時まで揮毫、夜分は午前2時まで坐禅もしくは写経……ほぼ寝ていない! 水戸にいたときには、水戸随一の酒豪と飲み比べして相手は5升を飲んだところでその場に倒れたが、居士は7升かたむけ余裕しゃくしゃくであったらしい。あるときは、あべかわ餅108個たいらげ、またあるときは、茹でたまごを97個食べたという。

落語家の三遊亭圓朝とのエピソードもなかなかいいです。あるとき居士は圓朝に子供のころ好きだった桃太郎を一席頼み、圓朝は得意に弁じたが、居士は納得せず「お前は舌で語るから肝心の桃太郎が死んでいる」という。さすがの圓朝も驚いたが、こころひそかに「この先生は禅なんてものをやっているから、こんなヘンなことをおっしゃられる」のだと思い引き下がった。がそれ以来、高座に上がっても自分に物足りなさがつのり出し、「私如きも禅をやりたく存じます」といって、これより2年間参禅したのだとか。
 
激動の時代に大活躍する居士ですが、相談に訪れる多くの人々にお金を工面してあげすぎて大いに困っていたようです。懇意にしている金貸しに大金を借りたところ、その金貸しが証文を書くよう居士に求めました。居士は「ウン、よろしい、では書きますね」といい、
 
 なくて七癖 わたしのくせは 借りゃ返すがいやになる
こんな癖があるので、証文を書いてお金を借りることはできません。貰うことはできます。
 
としたため「これが私の証文だよ」といって渡したり。
 
本書はこんなふと笑える場面や驚きの出来事が出てきます。
有名な西郷隆盛と江戸開城の下交渉を行なったときの記録は、登場人物の息遣いとともにその場面が頭にうかんでくることでしょう。

破天荒だけれどやさしく、ユーモアも持ち合わせていた鐵舟居士の人物像に親しんでいただけるとうれしいことです。  

編集担当K 


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