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欲深い長者と便所掃除の女_現代人のための仏教説話50

昔、天竺(インド)に大金持ちの長者がいて、そこにトイレの糞尿を始末する一人の女がいた。長者の家族や使用人など何人もの糞尿を、朝晩運び出してきれいに掃除する。そんな暮らしを続けて既に何年もたつ。衣服も体も汚れ、臭い匂いが染みついている。そこに住む者たちは、女を汚物でも見るように忌避・軽蔑し、道で会うと唾を吐き、鼻を摘まんで逃げるというありさまである。

お釈迦様はそんな女を可哀想に思っておられ、ある日、女が頭に糞尿を入れた容器を乗せて歩いて来るのに出会われた。すると女は、あまりに汚くみすぼらしい自分の姿を恥じて、傍らの茂みに逃げ込んだ。走ったため頭上の容器が揺れ、中の糞尿がこぼれて衣服にかかり、女はますます恥じ入ってさらに奥の方に逃げ込み、隠れた。

そこでお釈迦様は、女を救い幸せにしてあげようと思ってそばに行き、「私についてきなさい」とやさしく声をかけられ、耆闍崛山(霊鷲山。釈迦説法の地)につれて行かれ、諄々と仏の教えを説き聞かせられた。もともと心の美しい女はお釈迦様の導きのままに修行の段階を淀みなく進み、遂に阿羅漢果(修行によって到達する四段階の最上位)の資格を得たのだった。

それを聞いた長者は驚くとともに、「あんな女がそんなに偉い出家になるなんておかしい」と憤慨し、「お釈迦様に以前のことを話して辱はずかしめてやろう」と急いでお釈迦様のおられる耆闍崛山に向かった。山の前に大河がある。見ると、その中ほどに大きな石があり、その上に女が座って洗濯をしている。長者が近づくと、女は大きな石の中にすっと消え、消えたかと思
うとまた現れ、天に昇ったり地に隠れたりと変へん幻げん自じ 在ざいに動き、光を放ちながら神じん通つう力りきを現して飛び回った。

「ひゃ! 不思議なこともあるもんだ」と驚いた長者は、事態がわからないままにお釈迦様の前に出た。そして、思いを込めて詰るように言った。

「仏とは、修行なりすました清浄にして汚れない尊いものと思っておりましたが、おかしなこともあるものですね。お釈迦様は、私の屋敷で便所掃除をしていた汚れた女をお側に置いていらっしゃるというではありませんか。どういうことですか」

「あなたはその前の河で洗濯をしている女を見たはずだが、その女に見覚えありませんか」

「いや、知りません」

「光を放って、神通力を現していた女ですよ」

「ああ、その女なら見ました」

「その女こそ、あなたの家で糞尿を始末していた者ですよ。あなたは大金持ちで、世間で自由にならないものは無いのでしょうが、果報(後世の幸せ)はあの女に到底敵いませんよ。あの女は長い年月ずっと糞尿を始末し、汚れた便所を掃除して清めた功徳(善い行い)によって、既に阿羅漢果を得て光を放つ身になっている。それに対し、あなたは欲深く、意地悪く、気にいらないことがあるとすぐに怒り散らしている。この罪は重い。地獄に落ちて大変な苦しみを受けることになるでしょう」

お釈迦様の話を聞いた長者は、恥ずかしさと恐ろしさで身の縮む思いで家に帰り、深く後悔したということである。

〔今昔物語集・巻第三第二十一〕


【管見蛇足】救いの源は清廉な心

 便所掃除をする女と、強欲で傲慢な長者。典型的な善と悪、美と醜である。前者が救われ、後者が地獄に落ちそうなことは誰にも想像がつく。この話から思われるのは、糞尿塗れになって黙々と働く女の清らかな心である。それあればこそ、お釈迦様は憐あわれに思われたのであり、修行して淀みなく阿羅漢果の位を得ることができたのである。きれいな心の
持ち主は、いつかは世間に認められるものである。
「純朴と純心な真実とは、いかなる時代においても時と場を得る」(モンテーニュ)、「修行して悟りを得ようとする人は、心の本源を悟ることが必要である。心の本源とは清らかで綺麗な明るい心である」(空海)。そういう人こそが、「人並以下の人生に生まれてきても、天使として死ぬのです」(マザー・テレサ)ということになる。
 ところで、便所掃除といえば人の嫌がる仕事の代表となっている。が、この仕事こそ自分を磨き人の信頼を受ける人間になるために、極めて有益であるという人がいる。
「わが社では一九七四年に幹部社員が一年間便所掃除をやり、その後の会議で……〔中略〕……便所掃除は最高の教育だという結論を得た。……〔中略〕……掃除といってもモップや雑巾、ブラシといった用具は一切使わず素手でやる」(永守重信『「人を動かす人」になれ』)という。
 また、電気掃除機を造っている立場から、「身の回りをきれいにできない者が、どうして天下国家をきれいにする仕事ができようか」(松下幸之助)として、やはり新入社員にトイレ掃除をさせているという会社もある。下積み時代、三十年以上トイレ掃除をしていた芸人は、「(自分に)人よりも才能があるとは思えない。ただ、心当たりがたった一つだけある。
若いころに師匠に『トイレを綺麗に掃除しろ』と言われてから三十年以上ずっとトイレ掃除をやり続けてきた。おれが成功しているのは、トイレ掃除のおかげかもしれない」(ビートたけし)と、述懐している。


仏教説話50 表紙仮画像

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