『新装改訂版 道はるかなりとも』発刊によせて――編集者のつぶやき
2022年11月初旬、本書『新装改訂版 道はるかなりとも』の原稿の最終確認作業のため、青山俊董先生を愛知専門尼僧堂にお訪ねし、お目に掛かる機会を頂きました。それまで、先生とのやりとりは手紙と電話のみでした。
約束の時間を少し過ぎて訪問。可憐なお花が活けられていて、微かにお香が薫る応接間に案内され、先生をお待ちしました。
お見えになった先生は、350頁ほどの原稿(ゲラ刷り)を一枚一枚めくりながら、エンピツで書き込まれた編集部からの提案(校正)をご覧になり、「そのように直しましょう」「原稿のままで良いでしょう」とご判断くださいました。
打ち合わせが終わり、帰り際。玄関に向かってゆっくり歩かれる先生に手を差し延べて、支えてあげておられた若い尼僧さんを指して、先生は、「この人、こんど首座(しゅそ)をやるんですよ」と、わたくしに紹介してくださいました。その尼僧さんは、少し照れながら小さい声で、そして嬉しそうに「はい」と言われました。
「首座」というのは、禅の道場における「修行僧のリーダー役」です。首座に指名されることは名誉なことですが、重責を担う配役でもあります。住職に代わって他の修行僧からの問答を受ける、といったことも行います。
この青山先生と若い尼僧さんとのやりとりから、愛知専門尼僧堂の雰囲気を感じられたように思います。修行僧が堂長の前でも自然体でいられるくらいに、青山先生が修行僧を大切にし、修行僧は祖母(曽祖母?)の手をとるようにして堂長をいたわって――。
青山先生によりますと、尼僧堂の修行僧の数はいま、近年でもっとも少ないとのことでした。修行道場での行事などで人数が足りない時は、富山専門尼僧堂に応援を頼むのだそうです。
そのような困難な状況にあっても、青山先生と尼僧さんのお二人を思うとき、〈相手を輝かせ、自分も輝く〉尼僧という生き方の灯火がともり続くようにと願うばかりです。申すまでもなく、人間は男女からなります。尼僧さんがおられ、尼僧堂があってこそ、「この世に仏教がある」と言えると思います。
「しかあれば、夏安居にあふは、諸仏諸祖にあふなり、夏安居にあふは、見仏見祖なり、夏安居、ひさしく作仏祖せるなり」 ――道元著『正法眼蔵』「安居」巻
2022年12月14日
(編集担当:通雲)