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秋葉原-第1話「おじいさんのラジオ」

※この作品は2024年1月に開催される
ニュー新橋ビル商店街・秋葉原駅前商店街振興組合主催のイベント
「しんばし×アキバ カコ↓イマ↑ミライ展〜過去を知って、今を感じて、未来を描く〜」のために書き下ろしたものです。
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 おじいさんのラジオを、修理してみようと思った。
 それはプレステ5より大きくて、海賊の宝箱みたいな代物だった。中身は、部品を一つ一つハンダ付けして作ったものだと言っていた。幼い頃、おじいさんの膝に抱っこされてよく一緒に聞いていたことを覚えている。音楽も、人の声も、くぐもってはいたが味わいのある音を響かせていた。音が出なくなってからもそれはずっと部屋に置かれていた。捨てられない気持ちはよくわかった。
 四十九日が過ぎ遺品を整理している時ふとあの音をもう一度聞きたいと思った。挑戦してみることにした。錆びついたねじを慎重に回し、外筐を開けると、基盤の上に様々な色と形の部品が、小さな街のように並んでいた。
 その一つ、細長い電球のようなものにマジックで☓印がつけられていた。そしてその脇に1枚の紙片が挟まれていた。開いてみると丁寧な字で、品番らしき文字列と、そして「〇〇ラジオ商會」という店名と住所が書かれていた。
 この部品をこの店で買って取り替えれば、ラジオは直るということだろうか。
 おじいさんは生前これを修理したいとも修理してほしいとも一切言わなかった。しかしいつかそんな気を起こす人が出てくることを予見して、手引を潜ませておいたのだ。大正生まれのおじいさんの謹厳さや実直さを僕は改めて思い出した。

 現在の秋葉原はとてもカラフルでにぎやかな街だ。けれども大通りから少しだけ歩を進めると、昔ながらの店が軒を連ねる静かな界隈も、しっかり残っている。
 訪ねた住所は高架沿いの古いビルだった。中に入ると細い通路の両側に、2メートルほどの間口の店が並んでいた。どの店も、通路に向けて魚屋のような平台を突き出していた。その上は5センチ四方くらいの小さな升目に仕切られ、それらの中に電子部品が分類されていた。その様子は昆虫の標本のようだった。
 目指す店はすぐに見つかった。年配の男性が、平台の奥に座っていた。短く刈り込んだ白髪をポマードで固め、のりの利いたワイシャツに、青いエプロンを巻いていた。
 会釈すると、にこりともせずにしゃがれ声で言った。
「昔よく来ていたね」
「いえ、初めてです」
「最初はラジオの部品を買いに来た……」
「あ! もしかしたら、それは僕のおじいさんかもしれません」
「なるほど道理で若い」
 銀縁の奥でわずかにしわが笑った。
「それにしてもよく似ておる」
 その祖父が亡くなったことを僕は話したが、相手の表情は変わらなかった。
 本題に移ることにした。例の紙切れを開いて、部品の番号を見せた。
 店主は首を振った。
「ない」
 僕はがっかりしたが、まあ仕方がない。諦めて帰ろうと頭を下げた時。
「30年前なら、あるはずだ。上の階に行ってみなさい」
 店主は平台の横の仕切りを開けて、僕をカウンターの中に導いた。
 そして背後の壁の一部分を片手で軽く押した。そこが開いた。小さな扉があったのだ。
「30年分、上へ行きなさい」
 意味がわからなかったが、指示されるまま、扉をくぐった。
 殺風景な階段があった。
 とりあえず一階だけ上がってみると、今出てきた扉と全く同じものがあった。
 おそるおそる開けてみた。下の階とそっくり同じパーツショップだった。店番をする男性の後ろ姿が見えた。
「失礼します」
 声をかけると、男性が振り返った。
 僕はあっと声を上げた。
 さっきの店主だ。
 店主だけでなく、店内も、その外の風景も……他の店も、通路も、さっきとまるっきり同じに見えた。
 元の場所に戻った? いや、確かに1フロア分は上がったはずだ。
「30年分、上へ行きなさい」……ふとその言葉を思い出した。
 突然現れた僕を見て驚きもしない店主に、僕は聞いてみた。
「すみません、今年は何年ですか」
「2023年」
 2023年。1年前?
 1階上がったら、1年前に着いたということ?
 僕は軽く頭を下げ、入ってきた扉からまた出た。
 そして階段を、さらに上がった。
 1階、また1階と、数えながら上がっていった。
 不思議なことに、ちっとも疲れない。まるで足に羽が生えたように、僕はすいすいと進んだ。
「ここだ」
 階段の風景は変わらず目印になるものもなかったが、30階上ったところで、僕はまた扉を開けた。
 興奮していた。店から一気に通路まで出た。
 予想していた通りだった。さっき見た風景が、ビルの内部の壁が看板が床面が、同じ形のまますっかり真新しくなっていた。
 振り返ると店主がいた。服や髪型は変わらないが、髪はふさふさで、顔のシワも少なく、色艶も良かった。
「あの!」
 30年後と同じように、無表情だった。僕は、手に持っていた紙を見せた。
「このパーツ、ありますか」
 彼は何も言わずに平台に手を伸ばすと、小分けの枠の一つからそれを取り出した。細長い電球のような部品を。
 僕は財布の中の硬貨の年号を確かめながら支払った。そしてお礼を言うと階段に戻った。

 僕は決めていた。すぐ下に戻るのではなく、さらに上がってみよう、と。
 階段はまだずっと上に続いていた。
 僕は何かに取り憑かれたかのように上り続けた。
 そこからさらに40階。いや50階は上ったかもしれない。
 とうとう階段が終わった。天井が見えた。最上階だ。
 壁の扉を開けた。
 そこに広がっていたのは、屋外の風景だった。
 焼け野原だ。視界は遠方まで開けていた。黒い地面のところどころに、焼け焦げた建物の残骸が見えた。
 その中に、人が集まる一角があった。怒鳴るような声が飛び交い、活気が満ちている。
 足を踏み出しそこを目指した。トタンや廃材を地面に刺して作られた急拵えの露店が立ち並んでいた。ただ地べたにゴザや風呂敷を広げているだけのところもあった。ぼろぼろの軍服の男たちやもんぺ姿の女たちが、そこに売り物を並べていた。
 近づいてよく見ると、それらは、電子部品やコードだった。
 みな繁盛しているようだ。風呂敷を背負った人々が、それらの露店の一つひとつに群がっていた。部品や、一緒に並べられている紙を指差しながら何かを喋っていた。紙は、墨で書かれた回路図だった。部品を組み立てて、つなぎ合わせて、ラジオを作る、その方法が説明されているのだ。
 露店の隙間を、大量の部品を積んだ大八車が行き交っていた。
 おじいさんから聞いた話を思い出した。
 東京は空襲のせいで焦土と化した。秋葉原のあたりも、ひどい有様だった。
 けれど、戦後すぐにここは活気を得た。焼け跡に露店を建て、軍隊から横流しされた電子部品を運んできて売り始めた人々がいたのだ。
 音楽、講談、ニュース。全ての情報と娯楽は、まず、ラジオから流れ始めた。メーカーから正規の製品が出荷される状況ではなかったが、人々は部品を買い求めて、自分でラジオを組み立てて、聞いた。そして日々の活力を得たのだと。

 僕は足元を見た。ゲートルがまかれていた。
 通信兵上がりだから、ハンダ付けはお手のものだ。ラジオくらいは自分で作れる自信があった。
 そして部品はここで、秋葉原で全て手に入るのだ。
 組み立てよう。戦争が終わって、何もかもを失った。けれども、ここから始めよう。
 ラジオを作って、聞こう。そこから始めよう。元気出して、仕事をして、結婚して、子供を作って、孫を作って。
 作ったラジオは、いつかその孫に聞かせてあげられるだろう。なぜかそう確信していた。

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