お盆と赤い鳥。

昔からお盆をあまり意識しない家庭に育った私。

現在は関東在住だが両親が共に北の大地出身で、親戚の多くや代々の墓もそう簡単には行けない距離。お墓参りは行けるときに行くスタンスなので、お盆だからとキュウリや茄子や、お供えなどを支度をする家庭ではありませんでした。
(あのTwitterのTLに流れてくるキュウリや茄子のカスタマイズ、ちょっと憧れる…)

そして私は今までずーっとお盆休みなどほぼ関係ない勤め先にばかりいるので、余計に意識しなくなり。
お盆にそんなに思い入れは無かった。はずでした。

しかし今回、お盆の入りに不思議な夢を見たのです。

おいしそうに果物を食べているゴシキセイガイインコのキキ。
そこに真っ赤な鳥がすーっと重なり一つになった。
重なった影もおいしそうに果物を食べる。
きゃただった。

ああ、たまにうちに来て一緒におやつ食べてるのか。
くいしんぼうだったもんね。

普通に納得してしまった飼い主。

きゃたが私の元を離れて、今年の11月で2年経ちます。
ほんの少しずつだけど、その事実に冷静に対応できる心理にはなってきた。
まだ辛いっちゃ辛いですけど。

亡くなった当初は
「今リアルでショウジョウインコに出会ったら号泣する」
と思うほどでしたが、今そう思わなくなりました。
何故なら、(飼い主補正十分入ってますのでどうかお許しを)あの子ほど美しいショウジョウインコを見たことが無いからです。

インコのミスユニバースがあったら確実にファイナリストになるレベル。

特に顔の造形と、羽毛の質が素晴らしかった。
だから毎日毎日「美人ね、今日もとっても素敵よ」と誉めていたら、うっとりした声色で

「びじんねぇ❤️」

と自らお喋りしてしまうようになった時はちょっと自分の教育方針がどうなのかとは思いましたが、鳥は飼い主に毎日チヤホヤされてすこぶる調子に乗ってる位がちょうどいいのですよ(持論)。

◇◆◇

ペットロスな方に対して「そんなに悲しんだらあの子も悲しむよ。」「少し忘れてみたら」というような声かけは良くないと言われていますが、私も思います。
それダメ、絶対。禁句。
思いやっているようで全然相手の気持ちが尊重されてない言葉の代表格。
何も言わずに話を聞いてくれるだけの方が、どれだけありがたいことか。

ただ、散々嘆いて悲しんだ上で、自らその境地にたどり着くのは全然ありだと思いました。

最近ふと考えたのです。
逆の立場だったらどうだったのかなと。

私がきゃたを置いて旅立ってしまい、あの子が毎日のように私を失った事を嘆いていたら。ずっと悲しげに呼び鳴きを続けていたら。そんな様子を見ているだけで手を出すこともできなかったら。

………た、た、耐えられん!
んもう私なんか忘れていいから楽しく生きて!!

と思うわ、ほんと。

だからたまにやっぱり会いたくなったり思い出を辿ってはメソメソすることもありますけど、そんな時は「ちょっと今日は許してね」と謝りつつ。

縁あってうちに来てくれたキキを第一に考えて、楽しく過ごしていきたいなと思っています。

お盆も終わり、貴方の大切な方もそろそろお帰りになった頃でしょうか。


じゃあまたね。
来年も会えるのを楽しみにしています。