私ときゃたの一年間。

あの日から一年経ってしまいました。

一年たった頃には立ち直っているだろう。
だからその時には、私がペットロスからどう立ち直ったのかを文章にして、ペットロスで悩む人に少しでも助けになるような事が出来たらいいな。
なーんておこがましい事をかつては考えていました。

…無理だわ。
だって全然立ち直ってないもの。

この一年間、毎日毎日きゃたの事を思い返していました。
楽しかった思い出ばかりだったらいいけど、思い出されるのは後悔の方が多い。思い出しては悔しかったり悲しかったり、涙が出たり。
ずーっとずーっとその繰り返しです。

宗教の死生観でこう述べられている事がありますね。

『寿命は最初から決められている。変えることはできない。』

だから亡くなってしまっても自分を責める必要は無い、
天から与えられた定めなのだから。
そういう意味なんでしょう。

きゃたの闘病中、私は毎日必死で病気と格闘したけれど、最終的には何をやっても裏目に出て、不運が重なり、どうあがいても悪い方向にしか行かなかった。

どうしても生きていて欲しかった。
私はきゃたの消えそうな命にすがりつくように、
なんとか引き留めようとしたけれど、あの子は連れていかれてしまった。


ああ、私は、
神様に勝ち目のない勝負を挑んで、
負けたのだ。

そしてあの日から、
私ときゃたの不思議な一年間が始まったのでした。

《ここから先はは賛否両論あると思いますので、私の見た夢の内容を読んでいると思ってください。うん、フィクションみたいな感じで。》

一年前のあの日。
私はきゃたの亡骸を手のひらに乗せて、ベッドに横になっていました。
うつらうつらと眠くなるけど、すぐ目が覚める。
そんな状態でいたときに、突然きゃたを乗せた手の指先に

バチッ!バチッ!

と衝撃を感じたのです。

指先が勝手に弾けるような。
なんだこれ。

……きゃた?

私のTwitterを見てくださっていた方々はご存知かと思いますが、あの子はものすごーーーーく嫉妬深い子でした。飼い主が自分以外を可愛がるのは許せない。ぬいぐるみすらダメ。ぬいぐるみを持っている飼い主の手に襲いかかり噛みついたりクチバシパンチを繰り出して叩き落とすほど。

この衝撃、あれだよ。
クチバシパンチだよ。

ちょ、ちょっとちょっと。
あなたもう死んじゃったのに、もしや気づいてないの?
私が大事に抱えてる、この自分の亡骸に嫉妬してるんじゃ…。

まあ、あの子らしいわな。

なんとなく自分で納得してしまい、
そのポルターガイスト的クチバシパンチを一晩で3回ほど受け止めつつ、
翌朝を迎えた飼い主だったのでした。

◇◆◇

私は何か悩み事があったときにはひたすら本を読むタイプなんですが。

きゃたを亡くしてから完全に重度のペットロス状態。
それをなんとかしたくて、ひたすらそういった関係の本を読みまくっていました。心理学でもスピリチュアルでもなんでもかんでも片っ端から。

たくさん読んだ本の中に、こんな文章がありました。
「亡くなった子に聞きたいことがあるなら、聞いてみればいいのです。」
素直に聞けば、飼い主がわかるようにあの子は答えをくれますよ、と。

それを読んでなんとなく思った。
そっか、聞いたら答えてくれるのか。
じゃあやってみよう。

遺影に話しかけてみた。
「どうしてこんなに短い間しか、私のそばにいてくれなかったの?」

…答えは無い。当たり前だ。
でもいつか答えてもらえそうな気がした。

そして数日後。

私の気分は最悪だったけれど、朝の通勤時間の空は爽やかに晴れ渡っていて。
何となく道を歩きながらもう一度問いかけてみたくなった。

「どうして?なんでたった3年9ヶ月だったの?
きゃたが人生の全て、全てをかけて愛してたのに」

突然言葉が頭の中に降ってきた。

『だからだよ』
『もう充分。もっと自分の人生を生きて』

…自分の人生って、なんだ。

「何したらいいのかわからない。
きゃたを愛することが私の人生だったとしたら?」

『それは違う。もっとよく考えて』

それっきり、言葉は降りてこなかった。

え、
え?

えええええ。

きゃた、厳しいな。
まぁあの子らしいんだけれども。

でも、言われた事は図星だ。

私は今まで、こんなに一途に熱烈に自分だけを愛してくれる生命に出会った事が無かった。
だからきゃたに夢中だった。
可愛くて大好きで愛しくて。
そして美しくて賢くておしゃべりが堪能で。
気が強くて強烈にワガママで大変なことも多かったけれど、この子と一緒に生きていけることがうれしくて。

きゃたさえ私の側にいてくれれば、もう他に何もいらないとさえ思っていた。

友達付き合いもほとんどせず、休日はきゃたとおしゃべりしながらゆっくり部屋で過ごすのが最高に幸せだった。
それだけで良かった。

きゃたに本当に入れ込みすぎていた。
故に自分の生きる世界が極端に狭くなっていた。

きゃたはその事を言いたかったんだろうな。

その日以降、たまに言葉が降ってくるようになった。

きゃたが亡くなって49日を過ぎてから、ようやくケージを掃除して片付けられた時。
泣きながら風呂場でケージを洗いつつ「私がおうち片付けちゃった事、どう思ってるのかな」と言ったら

『いらない。もうおうち入る必要ないでしょ』

とあっさり言い放たれた。

…そうか。
と納得したけれど、
流れた涙が全部引っ込む勢いだよ。

そしてほどなくして私の元に新たな鳥が来るかもしれない、となった時。
私はきゃたが生まれ変わって戻ってきてくれることを願っていたので、正直少し悩んだ。
私は複数飼いできるタイプではない。
それに今のライフスタイルならばなおさら、飼えるのは1羽だけだ。
しかしきゃたはすぐに

『次、あの子がうちに来るから』

私は反射的に、
「嫌だ、きゃたがいい」
と言ってしまった。

『なに言ってんの!あの子はうちに来るの💢』

…怒られた。

そして色々あったもののお迎えが決まってから、準備のため鳥専門ショップで色々買い揃えていたとき、
「きゃたのおもちゃはきゃたの物だもんね、新しく買わないと」
と思っていたら
『あの子にも使わせてあげて』
と言われたので、その場で新しいおもちゃを買うのはやめた。
おもちゃ好きだったきゃたのお下がり、山ほどあるし。

そして止まり木を選んでいて、1本はちょうどいいものを見つけた。でももう1本がどうしても見つからない。
「きゃたのケージに使ってた止まり木がちょうどいい…けど、もしかして最後の方なんかの感染症だったのかもしれないし…再利用は…」
と考えていたら、

『きゃたちゃん汚くないよっ!💢』

それはそれは大きな声が、脳みそ痺れるレベルで響き渡る。
…またまた怒られた。
ご、ごめんごめんそうだね悪かったよ。
もう1本の止まり木は、きゃたが使っていた物を使うことにした。

頻度は減っているけれど、今でもきゃたは時々私に言葉をかけてくれる。
思い込みだとしても構わない。妄想だとしても。

だけど、それにすごく救われている私がいる、それは真実です。

◆◇◆

きゃたが生きていた時。
私がベッドに入ると、夜中何時であろうと必ず
「おやすみ、だいすきよ」
とおしゃべりしてくれていました。
私はそれが泣けるほど嬉しくて、寝る前にそれを聞くのが一番の楽しみでもありました。

今、もうその声は聞けません。

だけど今は、朝になるとおやすみカバーの隙間から一生懸命私の姿を探し、カバーを取ってあげると

「オハヨウッ!」

と元気に挨拶して、真っ先に私の膝に乗ってきてくれる子がいます。

以前、その子の頭上に物が落ちてきて、もうちょっとで直撃するところで危なかった事がありました。スレスレで当たらなかった。
大丈夫⁉️と手を出したところで

『そう簡単に死なせないから』

…と。
守ってくれてるのかもしれない。

ありがとうきゃた。


私はまだまだあなたの存在から卒業できそうにないけれど、
これからもきっとあなたを思い出して時々泣くだろうけど、


あんまり怒らずに、ちょっと見守ってくれていたら嬉しいです。