セキセイインコと父
実家では、昔からずっと鳥と一緒に暮らしている。
私が物心ついた時には、もう日々の生活の中に鳥がいるのが当たり前だった。ピークの時には30羽近くいただろうか。
天気のいい日にはたくさんのケージを庭に出して日光浴。じょうろにたっぷり入れた水をシャワーのようにケージにかけると、鳥たちが歓声をあげながら水浴びをしていた。太陽の光を浴びて、色鮮やかな鳥たちがキラキラと光る。
まだ小さかった私は、庭の水道まで何往復もしながら重たいじょうろを運び続けて手が痛かったけれど、喜んでいる鳥たちを見ては
「もっと!もっと!」
と水を運び続けていた。
…幼少の頃から既に鳥に対する下僕的要素が。
今ふと思いましたが、まあそれは置いといて。
日々そういった生活をしていると、ご近所さんには「鳥好き一家」と認知され、
結果的に近隣で飼いきれなくなったインコを押し付けられるような形で引き取ることも少なからずあったのです。
そんな中やってきたのがペアのセキセイインコ。
元飼い主が飼っていたセキセイが繁殖して産まれた子で、人間が一切挿し餌せず成鳥まで育ってしまったらしい。増えすぎて困ったから引き取って欲しいということだった。
ただ、ペアの相性はとても良く、常にぴったりくっついている二羽。名前もついてなかったので、受け取ったその場でつけた名前は、羽根の色からそのまま"みどり"と"あお"。
みどりとあおは完全な荒鳥。
ケージに人間が近づくだけでビクビクするほどだったので、人間は給餌係と掃除係に徹して、仲良しな二羽の邪魔をしないように生活。
遠くからしか見れないけれど、本当に微笑ましいほど仲の良い二羽だった。
しかし、引き取ってから数年経ったある日突然、あおの落鳥。
朝起きた時には既に…という状態だった。
一羽残ったみどりは、ぽつんと寂しそうにしており、なんとも可哀想な姿。
そこで、定年退職後で暇だったうちの父が動いた。
◇◆◇
ちょっと脱線しますがうちの父の話。
うちの父、サラリーマンだった頃は今でいうところの"社畜"。
どれだけ社畜だったかというと、猛烈に仕事が忙しすぎて歯の調子が悪かったのに歯医者に行かず、その結果進行しまくった歯槽膿漏が原因で歯が突然同時に6本抜けた…というエピソードの持ち主。
(その後は真面目に歯医者に行くようになりましたが、今では立派な総入れ歯。どんなに忙しくても歯医者には行きましょう。歯は取り返しがつかないよ…)
家庭も子育てもほとんど母任せだった父。そんな父が定年退職したら、何にもする事がなくなってあっという間にボケるんじゃないかと家族は心配していたんですが、父は趣味で野菜や果物を育てたり、薔薇園の方が主催している講義に参加して勉強しながらガーデニングをしていたり、毎日をのんびり暮らしていたのでした。
そして不思議なことに実家の鳥たちは、今まで仕事ばかりで鳥など全然相手にしていなかったはずの父に、よく懐くようになったのです。
鳥に対して、父は「なんもしない人」。
定年退職後にようやく掃除や餌の取り替えくらいはやるようになったけれど、積極的に鳥を構ったり遊んだりはしない。
どうもそれが、鳥たちにとっては安心できる要素だったらしい。
鳥好きの家族はついついちょっかいだしたりするし、爪切りで保定してメンテナンスするような、鳥にとって嫌な事もする。
しかし父はなんもしない人。
ちょっかい出したり掴んだりしない。遊んだりもしないけど、鳥がそばに来ても存在には慣れてるから嫌がらない。鳥に対しての扱いが常にフラットだ。
なので、鳥たちにとっては
父=無害の人
という認識になり、安心してそばにいられる人間として慕われたらしい。
まあ要するにいいとこ取りだわな、父。
たぶん人間だけじゃなくて、動物にも
「なんもしない人」
って需要が高いんじゃないだろうか。
◆◇◆
ひとりぼっちになったみどりに、"なんもしない人"だったはずの父がちょっとずつアプローチするようになった。ケージの前を通りすぎるときに声をかけてみたり、青菜で釣ってそばに寄らせてみたり。
みどりもつがいの相手が居なくなってしまったので外に意識が向きやすくなり、父の存在をあまり怖がらなくなっていった。
そして、ある日久々に私が実家に帰ると、
父の肩に、ちょこんとみどりがいた。
「なんか毎日構ってたら、手乗りになったんだよ」
と父。
すげえ。
私はそれまで、セキセイインコの荒鳥はそう簡単に手乗りにならないと思っていた。
元々は雛の挿し餌から一切人間が関わらないまま成鳥まで育ってしまった鳥。
そして父は鳥の飼育のプロでもなんでもない人。
ケージのそばに近づいただけで逃げ回っていたみどりを、自己流で手乗りにしちゃうとは…。驚いた。
それからみどりは父にべったりになり、常に父の肩を定位置にしていた。
うちで元々飼っているヨウムのQ太郎も父の事が大好きだったけれど、肩乗りは禁止されているので(父のかけてるメガネを壊そうとする)、みどりの事がとても羨ましかったらしい。常に視線で父とみどりの姿を見つめていた。
そしてとうとう
"自分もセキセイインコになったら父の肩に乗れるかも"
と思ったらしく、
「ピョロロロ!ピョロロロ!」
と、セキセイインコそっくりの声真似で鳴くようになってしまったのには笑った。
Q太郎よ、努力の方向がちょっと違う。残念。
ヨウムのヤキモチなぞ全く意に介することなく、みどりは父の肩に乗る日々を満喫しているようでした。
そしてとある日。
みどりのつがいの相手が父になってから数年後、
母からうちに電話が来た。
「みどり、死んじゃった」
え。うそ。
朝いつものように起こしたら、ケージの中で尋常じゃないほど大暴れするので、驚いて扉を開けたら一目散に父の肩に飛んでいったみどり。
そして、肩の上で倒れた。
驚いた父がすぐ手のひらにすくい上げたけれど、そのままスッと亡くなってしまった。あっという間の出来事だったと…。
その話を聞いて思った。
ああ、やっぱりな、と。
実家に住んでいた頃、そんな光景を何度か見ていた。
鳥は、最後に一番大好きな人の元へ飛んで行く子がいる。
みどりもそうだった。
母によると、みどりの亡骸を手のひらに乗せて撫でながら、父は
「もうセキセイインコ飼いたくない」
と、ぼそっと呟いたと。
その気持ち、わかる。
とても愛しくて、大切だったから、
失った時のダメージが大きすぎて。
そんな風に考えちゃうんだよな。
その頃から、両親も高齢になってきたので、これ以上鳥を増やすのはやめようということになり。
年数が経ち、一羽、また一羽と見送り、
今現在、実家にはヨウムのQ太郎だけになりました。
元々の寿命が飛び抜けて長いQ太郎が、今の両親の精神的な支えになってくれています。
そしてみどりは、
父にとって、最後のセキセイインコとなったのでした。