Chapter 23 of the book "The Gandhi Story"
※以下の文章は、上記の本を私が翻訳・要約した日本語記事です。
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塩の行進
ガンディーは、塩を使おうと決めた。塩には、高い税金が課せられていたので、インドでは誰も塩を作ったり、売ったりできなかった。ガンディーにとって、塩に付いた税金は、イギリスがインドを苦しめるために作ったトラブルの象徴だった。
インドの人々は、自分たちのための塩を作ることができなかったので、買うしかなかったが、それはとても高価だった。イギリス人たちは、塩でお金儲けをしていたので、税金は彼らにとって、とても大切なものだった。
塩を選ぶなんておかしいと思うかもしれない。しかし、それは皆が生きるために必要なものだ。お金持ちも貧乏人も、イスラム教もヒンドゥー教も、塩を必要とした。だから、インド中が一丸となってイギリスに抗議するには、塩が然るべきものだったのだ。
ガンディーは、サバルマティにある彼のアシュラムから、ダーンディーと呼ばれる地域までの約380kmを歩こうと決めた。彼の計画は、抗議の一環としてダーンディーで塩を作ることだった。
1930年3月12日、ガンディーと78人の人々は、23日かけて、長い道のりをゆっくりと歩いた。そして、その姿を見た多くの人々が、抗議に興味を持っていった。
全ての町で、ガンディーに賛同する人々が集っていった。すぐに、それは何千という人数になった。そして、塩の行進は世界中で大きなニュースになった。
4月5日、ガンディーはダーンディーにある海に着いた。ガンディーは、塩をひとつまみし、それを水の中で沸騰させ始めた。
それはシンプルな行為だったが、インドの歴史の中で偉大なる瞬間のひとつだった。何百人もの人々がガンディーの行動に続き、塩を作り始めた。しかもそれは、ただ塩を作っていたのではない。そうすることによって、彼らはストライキと抗議をしていたのだ。
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