Chapter 27 of the book "The Gandhi Story"

※以下の文章は、上記の本を私が翻訳・要約した日本語記事です。

-------------------------

パーリヤ

ガンディーがインドに戻ってから1週間ほどして、彼はまた刑務所に入れられた。インドには、フリーマン・フリーマン=トーマスという新しいインド総督がやって来ていた。フリーマンは、ガンディーを恐れていた。ガンディーは刑務所にいる間、インドのパーリヤたちを助けたいと考えていた。

1932年、最初にガンディーは、法律への抗議として、6日間の断食を始めた。選挙では、パーリヤたちは投票をすることができないとされていた。これにガンディーは怒っていたのだ。

ガンディーはイギリス人たちに言った。自分は断食すると。そして、自分がたとえ死んでもかまわないと。

この時期、6日間の断食をするガンディーを、インド全体が見守っていた。彼の断食は長くはなかったが、すぐ健康を崩した。彼を運ばなければならなかったが、とても弱っていて、水を飲ませることさえ難しかった。

イギリスは、刑務所に医師を呼んで、ガンディーを診察させた。すると、医師は言った。ガンディーは死にかけていると。

イギリスは、ガンディーを死なせるわけにはいかなかった。もし、彼が死んだら、インド中の者が怒り狂うだろう。そうなれば、これ以上インドを支配下におくことができなくなるだろう。

ガンディーは勝った。彼は自由の身になり、パーリヤたちのためにしたかったことを始めた。

ガンディーは、パーリヤたちを助けるためにはお金が必要だったので、再びインドを旅し始めた。彼は町から町へ、自分の考えを皆に話しながら歩いた。彼は、人間はみな等しく、そして他人は愛するべき者だと、皆に話して回った。

多くの者がガンディーを敬愛していた。しかし、彼のやっていることを良く思わない者たちも少なからずいた。1934年、その者たちはガンディーを殺そうと3度も試みた。

1度は、爆弾を使ってガンディーを殺そうとさえしたが、ガンディーは恐れなかった。彼は、インドと、貧しい者たちのために活動することを決してやめなかった。

ガンディーが貧しい者を助けようとしている間、ジャワハルラール・ネルーのような他のインドの指導者が、インドを独立させようと動いていた。

1937年、事はインド側に少し好転した。自由を得たわけではなかったが、イギリスは、インドに自分たちの政府をもたようと考え始めたのだ。

-------------------------

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?