私の人生、のんびり屋をしたかっただけ。
日本は猛暑のようですね。
私の知り合いは本屋に行っただけで熱中症になったと言っていました。
皆さんもどうか体調にお気をつけください。
今日は私に見つかったセルフイメージについて書きたいと思います。
それはズバリ
「のんびり屋」です。
私は「のんびりしているね」と言われるのが大嫌いでした。
のんびりした人と言われると、
・のうのうと人からの援助で暮らしている人
・頭がお花畑で現実を知らない
・だらしがない怠け者
・バカで考えが足りない人
・うすのろで邪魔な存在
・努力というものを知らない根性なし
・どんくさい運動音痴
・図体がデカい女
と言われている気がしていました。
こんなに嫌な言葉なのに、
子どもの頃、「梢ちゃんはのんびり屋ね」と
親戚中、友達、ご近所さん達からしょっちゅう言われていました。
母方の家系は漁師
父方の家系は農家なので
勉強することも椅子に座って怠けているうちに入るような世界観だったんです。
早朝から汗水流して働くのが偉いと強く思い込まされる家庭環境だったから、
ゆっくりすることに異常に罪悪感があったんだなと気付きました。
なので、「のんびり屋」だと言われたくない一心で
色々と頑張っていました。
機敏に動こう、
要領を良くしよう、
現実的に考えよう、
忙しくしよう、
痩せよう、とか
無理をして頑張っていました。
「のんびり屋」だと言われないようにする為だけに
ものすごいエネルギーと時間を使っていました。
でもある日、「のんびり屋」というのがセルフイメージだとわかって
この頑張りを辞めました。
辞めるだけでなく、
「のんびり屋」というセルフイメージを
思いっきり開き直って実行しました。
つまり、
私は「のんびり屋」だというセルフイメージがあるということを念頭に置いて
思いっきり「のんびり屋」をやってみる。
「のんびり屋」を全開にしたんです。
すると、
ものすごい楽になりました。
今まで抱えていた罪悪感がとても大きかったので
それから解放されて
とても楽になりました。
(セルフイメージだってことを念頭に置かないとただ罪悪感に苛まれるだけだったと思います)
「のんびり屋」じゃいけないって誰が言ったんだろう、
「のんびり屋」をするために生まれてきたのかもしれない、
私は「のんびり屋」をしたいがために私の家族の目が届かないようなイギリスまで
来たのかもしれない、とまで思いました。
セルフイメージによって、
実行した後にどう変化するかはそれぞれ変わってくるのですが、
私の今回のセルフイメージについては
「のんびり屋」という言葉の意味が変わりました。
「のんびり屋だね」と人から言われても、
・のうのうと人からの援助で暮らしている人
・頭がお花畑で現実を知らない
・だらしがない怠け者
・バカで考えが足りない人
・うすのろで邪魔な存在
・努力というものを知らない根性なし
・どんくさい運動音痴
・図体がデカい女
と言われているという気はしなくなり、
自分らしく人生を楽しんでいていいね
と言われている気がするようになりました。
しかも、
「のんびり屋」を開き直って
自分のペースでやることが許されると、
どんどんやりたい事が増えてきました。
矛盾して聞こえると思うのですが、
のんびりと忙しくしている毎日になりました。
この「のんびり屋」というセルフイメージは、
なぜか小柄でチャキチャキした女性がすごく苦手
という思いから掘り下げて出てきました。
私の人生で今まで出会ってきた小柄でチャキチャキした女性達は
働き者だった私の祖母の化身達でした。
やはり、子どもの頃の環境って大人になっても私たちに大きく影響を与えているものですね。
さて、
MOMOYOさんの最新動画を観て皆さんはどう思われましたか。
実は今回この「のんびり屋」の私についてブログを書いたのは
以前の私だったら、この「のんびり屋」というセルフイメージが作動してMOMOYOさんのメッセージがうまく聞き取れなかったなと思ったからです。
マインドと体とスピリットの関係を伝えてくださっています。
私ももっと心と体のメンテナンスを頑張ろうと思わされました。