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多次元人格な私

目の前のけんちゃんや、あいちゃんやリンダもエバンも、そのまんま、この世界に存在している事をなんの抵抗もなく理解できるし、認めている。

自分の中にも、
ふわふわ天使みたいな自分もいれば、怒ってる時なんか、同じ人間とは思えない(笑)ダンスでエロスを表現してる時なんかはまた別人だ。
めちゃ仕事できるぜーなんて時もあれば、天然炸裂のおっちょこちょいで恥ずかしくて、もう洞穴で暮らしたいと思うこともある。

「私らしさ」傾向性、パターンってもちろんあるけれど、
「私」という形は一つに見えても、実は、私たち一人一人そもそも中身はすーごい沢山の人間なんじゃないかしら。
私たちはそもそも多次元的な存在。

らしくない「私」に出逢ったり、
なんだか都合わるい「私」がひょっこり現れると、どーにか、ないことにしようとしたり、排除しようとしたりしがち。

でも私たちはそもそも多次元的な存在。
コズエルも鬼コズも、エロコズも、ずっこけコズも、
ただ、いるということを許される世界。

排除するのでは無く、統合していく。

エバンが私の世界にいて、リンダやけんちゃんや愛ちゃんが、この世界(私の世界)に存在していることが、ただ自然であるように。

読んでくださってありがとうございます。

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