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文章を書く練習:性善説。字面は美しいが、果たして信じる者は救われるのか。
「性善説」。
学校で習ったときからむず痒い気持ちがする単語だった。当時は、そりが合わない同級生にぼろぼろされ、苦しかった。
あまりにつらくてあちこちに助けを求めたのだけど、誰からも助けてもらえず、在学中はずっと深淵を覗く毎日だったのだ。
そんな状況のときに「人にはみな、人に忍びざるの心あり」なんていわれてもどこか白けてしまったのは無理はないように思う。
他人の不幸や苦痛をみすごしにできない本性は誰しも持っているとは思う。けれど、見過ごしにできない本性をいつでも出せるかというとそうじゃないんじゃないか。
なにかの不幸に見舞われた人を見て「ああ、なんとかしてやりたいな」という気持ちはもっていても、「申し訳ないが、自分のことの方が大切だから手も口も出せない」となることも多い。それは年齢や立場関係なくそうだと思う。
そう思うからこそ、自分が何かトラブルを抱えたとき「誰かが何とかしてくれる」とは考えないようになった。年を負うごとに「自分でなんとかしなければ」「助けは来ない」と考えて行動することが多くなった気がする。少し悲しいけれど、そうやって生きた方が他人に期待しない分楽な人生な気さえする。
それは要するに他人に期待しなくなったということなのかもしれない。
その証拠に人に失望することも少なくなった。「あいつだってきっといいところがある」なんて無理に思わなくてもよくなったのも、きっとそのせいだろう。
性善説。人には本来よい心が備わっているという部分は大いに賛成だ。しかし、そのよい心が誰にもどんなときにも平等に向けられるなんて言う幻想をもっていると人生に失望することになる。そんな気がする。
やり方
読んだコラム
「忍びざるの心」
思ったことを箇条書きに
性善説かぁ…。
皇居のお堀に飛び込んだ少女と通報しなかったヤジ馬。
見ているだけでなにもせず、何かの出し物でも見るかのように平然といられるものなんだろうか。わからない。
移動式ギロチンがあちこちで猛威を振るっていたフランス革命時代も自分が首をはねられる側ではないことをいいことに、見物人が絶えなかったというし、そういうものなんだろうか。
お堀の深さが「どうせ助けられはしない」と、「なんとかせねば」と思う前に「行けば自分もただでは済まない。自分は死にたくない」という壁を作ったのかも。
見物人たちは、家に帰って食卓の話題にして、その夜ぐっすり眠ったのだろうか。とある。
たぶん、ぐっすり眠ったんじゃないかな。きっとテレビか映画でも見て帰ってきたような気分だったんじゃないかと思う。
そもそも助けられたかったんだろうか。お堀に飛び込んだというその少女。
自分の主張を決定
(今日はなんとも後味が悪すぎてちょっとあれだな)
性善説。字面は美しいが、果たして信じる者は救われるのか。
材料を書き出す
「性善説」。学校で習ったときからむず痒い気持ちがする単語だった。当時、そりが合わない同級生にぼろぼろされ、苦しさのあまりあちこちに助けを求めたのに誰からも助けてもらえなかったのもあって、「人にはみな、人に忍びざるの心あり」なんていわれてもどこか白けてしまう。
他人の不幸や苦痛をみすごしにできない本性は誰しも持っているとは思う。けれど、見過ごしにできない本性をいつでも出せるかというとそうじゃない。
「ああ、なんとかしてやりたいな」という気持ちはもっていても、「申し訳ないが、自分のことの方が大切だから手も口も出せない」となることも多い。それは年齢や立場関係なくそうだと思う。
「誰かが何とかしてくれる」と思っているからつらいけれど、「自分でなんとかしなければ」「助けは来ない」と考えて行動した方が他人に期待しない分楽な人生な気さえする。
年を取って他人に期待をしなくなってからは、人に失望することも少なくなった。「あいつだってきっといいところがある」なんて無理に思わなくてもよくなったのは、きっとそのせいだろう。
性善説。人には本来よい心が備わっているという部分は大いに賛成だ。しかし、そのよい心が誰にもどんなときにも平等に向けられるなんて言う幻想をもっていると人生に失望することになる。そんな気がする。
400文字程度の文章にまとめる
推敲して、ロジックを整える
使っている本の紹介
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やり方が掲載されている記事
文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。
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