見出し画像

文章を書く練習:無意味な努力をしないためには味気なさが必要か

ネットミームでたまにお見掛けする「土の山を別の場所に移し、翌日はまた元の山に移す」という「無意味な努力をし続けるむなしさ」のたとえ話、元はドストエフスキーの「死の家の記録」という長編小説にあるらしい。

全く無意味であることを知ったうえでの努力は、自分を殺せるほどにつらい。それをわかっているから、少しでも無意味ではない可能性が高い方へ進みたいのが人情ってものなんだろう。

そうだとすると無意味を感じる仕事を商売にしている人が無気力に毎日を過ごしたいと思うのも仕方がないのかもしれない。

たとえば学校の先生(主語が大きいけど)。ベルトコンベアー式に生徒を流していくのがだめなんだと揶揄されがちだけど、生徒のためを思ってした努力が無意味だったことをつらく思って無気力になった人もいそうだ。

会社員でうつになってしまった人も努力の結果えられるはずだったものが得られなくて、自分の努力が全くの無意味だったと悟った瞬間に闇に堕ちるようにうつになってしまった人もいるんじゃないかな。

とはいえ、「死の家の記録」のように、人を追い詰めるためにわざと「貴様の努力など無意味」と見せつけることもあるのかもしれないけれど、実際は意図せず無意味になることの方が多いと信じたい。

自分の努力が無意味だったと後悔しないためには、努力の先の未来に過剰な期待をしないこと、確実に結果がはいるようにこまめにPDCAサイクルを見直すことが必要ということだろうか

それはそれで、周りも見えなくなるくらいの熱中は許されないような感じがして、なんとも味気ない気もする。

書き終わるまで15分

やり方

読んだコラム

「現代の狂気」

思ったことを箇条書きに

全く無意味なことを自分で知っていて、しかも努力することはできない。それを強制されれば、ついに自分が自分自身に反抗するようになる。

https://kokkai.ndl.go.jp/simple/dispPDF?minId=107104209X02519730612

たとえささやかでも、自分の仕事に何らかの意味がなくては生きていけない

自分の主張を決定

無意味な努力をしないためには味気なさが必要か

材料を書き出す

無意味な努力をし続けるむなしさをわかっているから、正解のある道を歩みたいのかもしれない

せっかく継続した努力を「それは無意味」とあざ笑われた記憶があれば、もう一度同じ努力をしようと思えないのも仕方ない

ベルトコンベアー式に生徒を流していくのがだめなんだと揶揄されがちな教育者だけど、生徒のためを思ってした努力が無意味だったことをつらく思って無気力になった人もいそうだ

会社勤めの人がうつになるのも努力の結果えられるはずだったものが得られなくて、自分の努力が全くの無意味だったと悟った瞬間だったりするんじゃないかな

コラムの中で紹介されていた死の家の記録のように、人を追い詰めるためにわざと「貴様の努力など無意味」と見せつけることもあるのかもしれないけれど、実際は意図せず無意味になることの方が多いと信じたい

無意味だったと後悔しないためには、努力の先の未来に過剰な期待をしないこと、確実に結果がはいるようにこまめにPDCAサイクルを見直すことが必要ということだろうか

周りも見えなくなるくらいの熱中は許されないような感じがして、なんとも味気ない気もする

これはこれでしんどそうな努力である

400文字程度の文章にまとめる

  • 推敲して、ロジックを整える

使っている本の紹介

※書籍のリンクはAmazonアソシエイトプログラムを使っています。

やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?