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文章を書く練習:けんか両成敗を望むわけではないけれど。

子どものころ、同級生とのいさかいがあったとき、先生の「はい。これでこの件はおわり!おわりね!」という一言に納得がいかなかった。

私は、けんか両成敗でどっちも頭にげんこをもらいたいわけじゃなかったし、握手で仲良しで無理やり仲直りさせてほしいわけでもなかった。

ただ、私と相手の主張を聞いたうえで「ここまで聞いてもらって、主張を理解してもらったうえでの成敗なら仕方がない」と思わせてほしかったのだ。

どうして、ロクに話も聞かず、その場の空気間だけで「はい。おわり」とできるのか。先生に聞いても「なまいき」ともう一発殴られるのがオチと知ってからは、「ああ、先生というものは信頼してはならないんだな」という学びだけ残して頼りにもしなくった。

大人になってからも、「どうにも納得がいかない、後味が悪い判断が下された」ときの不快感の正体を探ると「ああ、理解する努力さえもしてもらえなかった」であることが多い。

腹落ち感のない判断を突き付けられた側は「ああ、つまりあなたたちはそういう人なんですね」と失望するばかりというのに何をしたいのだろう。

今日のコラムの題材になった裁判は、有罪になり責められたのは一人だけ。その一人が全く問題がなかったわけではないけれど、なぜに彼女以外は意気揚々とできるのかという部分に納得感がない裁判だったようだ。

この裁判も「ロクに事情も聴きもしないアレ」だったとは言い切れないけれど、うなだれて判決を聞いていた彼女はどんな心境だったろうか。

コラムを読んでからの後味の悪さを、コーヒーで飲み下すような朝になった。

やり方

読んだコラム

「女性有罪」

思ったことを箇条書きに

タイトルを見ただけで「あ、あの事件かも」と思い当たったけれど、やっぱりあの事件か。
最近、記者の方が亡くなったことで「実はあれは英雄譚なんかではなく」という話がWebで出回って、だいぶん気分が悪くなったアレだなぁ。

記者無罪、女性有罪に後味が悪いといっているあたり、好感がもてる。そうだよね…。

後味が悪い4つの理由すべてに「そうだよね」とうなずける。

男女関係を利用したことになってるんだね。当時の新聞では。コラムという性質上、そういう表現にせざるを得なかったのかもしれないけど。

3月に観た映画に「ペンタゴンペーパーズ」があったけど、それと比較するのはあまりにもあんまりか。同じ「知る権利」と「報道の自由」が題材だけどね。

自分の主張を決定

けんか両成敗を望むわけではないけれど。

材料を書き出す

けんか両成敗でどっちも頭にげんこをもらいたいわけじゃない。握手で仲良しで無理やり仲直りさせてほしいわけでもない。

ただ、双方の主張を聞いたうえで「ここまで聞いてもらって、主張を理解してもらったうえでの成敗なら仕方がない」と思わせてほしい。

どうにも納得がいかない、後味が悪い判断が下されたとき。不快感の正体を探ると「ああ、理解する努力さえもしてもらえなかった」であることが多い。私だけかもしれないけれど。

義務教育で教師が子どものいざかいに首を突っ込むときの解決方法が「パット見ただけで判断して、その場しのぎの対策をほどこして、雰囲気だけ解決する」だったのを引きずってるとしか思えぬ。

腹落ち感のない判断を突き付けられた側は「ああ、つまりあなたたちはそういう人なんですね」と失望するばかりというのに。

今日のコラムの題材になった裁判がそうだったとは言い切れないけれど、うなだれて判決を聞いていた彼女はどんな心境だったんだろうかなぁ。

400文字程度の文章にまとめる

  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。


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