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文章を書く練習:被害者は静かに悲しみを抱えて生きているというのは偏見か。それとも…。

今日のコラムはかなり気が沈む内容だったので、コラムを読んで思い出したことを。

被害者気分で
「誰も何もしてくれない」
「私は被害者。かわいそうなんだから施しを受けて当然なのに」
「正義は私にある。だから私の利益になることなら何を慕って許される」
「まわりが犠牲になっても当然」
という態度で相談に来られて困った。最近の話だ。

「あなたにしか相談できない」
「どうしても時間をとってほしい」
と請われて、「どうしたどうした」といって話を聞いているうちに「もしかして、この人、テイカーなのでは?」
と気づいたのだ。

だって彼女、「ワタシ カワイソウ」という話はするけれど、「現状を変えるためにこうした」という話が一向にでてこない。

それどころか、こちらがしたアドバイスさえも「やってない」「めそういうことを求めているんじゃない」と。

彼女がテイカーであることにとうに気が付いていた周りからは「なんで近づいたのか」「近づくなと警告したよね」と、私が責められる始末。

自分の評価まで落ちて「あーあ」という感じだ。まぁ、やってしまったことは仕方がない。

話は変わるけれど、組織を構成する人間関係は「迫害者」「被害者」「救済者」にわけられるらしい。

そして、「被害者」で居続けるには「自分で被害者でいる」と決心する必要があるそうな。というのも、被害者でなくなるために自分で対処策を探し「挑戦者」になるという選択もできるからだ。
特に挑戦者になる土壌のある組織で被害者で居続けることはむつかしいそうだ。

この話、うろ覚えだけれどティール組織という本の中のたとえ話か何かだった気がする。

その話をなぞると、彼女は「被害者」で居続けることを選んだということだろう。挑戦者になり自分の影響力の輪を広げ、どうにかする手段をとることを放棄した。あるいは見て見ぬふりをした。ということか。

そして私は、彼女が被害者であることを肯定するためだけに召喚された傍観者というわけなんだろう。もしかしたら、彼女は私が救済者になることを望んでいたのかもしれないけれど。

「わたしってかわいそうなんです!!」
と声高に叫ぶだけの彼女が滑稽に思えるようになったのはいつからだったか。

「被害者だ」「かわいそうだ」というなら、助けを求めるべき公的機関はいくらでもある。そういう場所に相談に行き、しかるべき対価を払ってプロに依頼するようにアドバイスもした。

でも、彼女は動かなかった。

声を大きく「被害者はここにいます!」と叫ぶだけで周りが動くと思わないでほしい。

自分で何かしらのアクションをしない人に、何かしようと思う人はあまりいないと考えてほしい。

それに…。本当に被害者でどうしようもなくて辛くてしんどい思いをしている人は、そんなに元気じゃないことの方が多い。気がする。

もっとも「被害者はおとなしい」という考えは私が持っている偏見かもしれないけれど。

やり方

読んだコラム

「竜治君の死」

思ったことを箇条書きに

タイトルからして嫌な予感がしたけど、ヤングケアラーと保護されなかった親の心中の話か…。
それも親が死亡してから子供が遺書を残して後追い。

「いうべき言葉がない」とあるけれど、本当にそうだ。

今でさえ、支援を必要とする人に支援が行き届かず、悲しい事がおこっているけれど、今ほど情報が得にくく「たすけて」も伝わりにくい当時だったら、当事者の苦しみはいかほどだったか

「みんなが親切にしてくれへんかったせいや」。子どもの遺書にはそうあったというが…。

読んでてつらい記事2連続かー。(昨日もしんどい記事だった)

支援が行くべき人に支援がいかず、口だけ大きい人のところには不要なほどの支援が行くという話は、コラムの本題とそれるけれど。そんな話も思い出したなぁ。

自分の主張を決定

被害者は静かに悲しみを抱えて生きているというのは偏見か。それとも…。

材料を書き出す

今日のコラムはかなり気が沈む内容だったので、コラムを読んで思い出したことをつらつらと書こうと思う。

被害者気分で「誰も何もしてくれない」「私は被害者。かわいそうなんだから施しを受けて当然なのに」「正義は私にある。だから私の利益になることなら何を慕って許される」「まわりが犠牲になっても当然」という態度で相談に来られると困る。

「あなたにしか相談できない」
「どうしても時間をとってほしい」
と請われて、「どうしたどうした」といって話を聞いているうちに「もしかして、この人、テイカーなのでは?」
と気づくことも。

とうに気が付いていた周りからは「なんで近づいたのか」「近づくなと警告したよね」と責められる始末。

自分の評価まで落ちて「あーあ」という感じだ。まぁ、やってしまったことは仕方がない。

組織を構成する人間関係を「迫害者」「被害者」「救済者」の3つにし、「被害者」で居続けるには「自分で被害者でいる」と決めなければ「被害者」で居続けることはできない。被害者でなくなるために自分で対処策を探し「挑戦者」になることができるからだ。
挑戦者になる土壌のある組織で被害者で居続けることはむつかしい。

という話を読んだことがある。うろ覚えだけれど、ティール組織という本の中のたとえ話か何かだった気がする。

その話をなぞると、彼女は「被害者」で居続けることを選んだんだろう。挑戦者になり自分の影響力の輪を広げ、どうにかする手段もあっただろう。

そして私は、彼女が被害者であることを肯定するためだけに召喚された傍観者というわけなんだろう。もしかしたら、彼女は私が救済者になることを望んでいたのかもしれないけれど。

「わたしってかわいそうなんです!!」
と声高に叫ぶだけの彼女が滑稽に思えるようになったのはいつからだったろう。

被害者だかわいそうだというなら、助けを求めるべき公的機関はいくらでもある。そういう場所に相談に行き、しかるべき対価を払ってプロに依頼するようにアドバイスもした。

でも、彼女は動かなかった。

声を大きく、被害者はここにいます!と叫ぶだけで周りが動くと思わないでほしい。

自分で何かしらのアクションをしない人に、何かしようと思う人はあまりいないと考えてほしい。

それに…。本当に被害者でどうしようもなくて辛くてしんどい思いをしている人は、そんなに元気じゃないことの方が多い。気がする。


400文字程度の文章にまとめる

  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。


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