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闘うという考え方はもうやめたい

何か「やりたいこと」が、「やるべきだと思うこと」がある時に。

正攻法で正面突破しようとして、そしたらその許認可権者が保守的で断念…みたいなケースよくあるじゃないですか。提案した側が「うちの組織は堅くてさぁ…」とか諦め混じりに言う感じ。

しかも、なぜかお互いに「それしか方法がない」と思い込んでる感じ。提案側も「なんとかしてこの人を攻略できないものか…」とひたすら頭を捻る…みたいな。

こういう旧態依然過ぎる進め方、なんか「もうよくない?そういうの」って思ってしまうんですよね。

なぜか「この人を攻略しないと」ってとにかく義理を貫こうとしてしまう感じがあるんですけど、もうそういう時間僕らにないと思うんですよ。もっと話しかけやすい、話わかってくれる許認可権者が別にいたりするなら、それが別の部署の人だとしても、なんとかロジック考えて(ここは頑張らないとね)そっちから上げてくようにした方が明らかにwin-winだと思うんですよね。たとえそれが不義理だとしても。

なんというか、無理ゲーなところにチャレンジしてこそ成長できるみたいな風潮と繋がっているような気がしてるんですけど、僕あれ嘘だと思うんですよね。


そうじゃなくて、人を一番成長させるのは、心理的安全性がある中での成功体験だと思うんです。よっしゃ!やったぜ!という感覚こそが、自信に繋がりその人が成長する。

無理ゲーのドツボにはまって疲弊し摩耗するヒマなんて僕らにはなくて。その労力使って、もっと楽しくやれる方法模索した方がいいですよ明らかに。保守的な人のほとんどは「空気読んでる」だけなので、空気変えない限りすんなり通ることはない。

僕らには、闘って傷だらけになって何かを変える時間なんてもうないんです。苦虫嚙み潰した表情で、たくさんの時間と労力をかけて成し遂げた成功事例は続きません。楽しんだ表情で、ステキな仲間たちとたくさんの時間と労力をかけて成し遂げた成功でなければ続かないですよ。そのためには闘ってるヒマなんてない。別の形で成功事例作って空気変えていくしかないんじゃないか。

そう思いますね。


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