マスクの下(8)

 夜。k吾は自室のベッドに寝そべり、まんじりともせず今日のn子との小デートを反芻していた。

 ローソンの駐車場で不意に転んだn子を無事に家まで送り届けたのは良かった。やるべきことをやった充実感はある。同じ団地のn子の部屋まで送って(お互いにおんぶしたまま家まで帰るのは恥ずかしくもあり団地の敷地に入るところで下ろして、それでもn子が足を引きずる様子だったから手を貸したりしながらエレベーターまで乗せた。手を繋いだり離したり、ものすごくぎこちない感じだった)、コロナ巣籠もりでn子の母は在宅していたが湿布が無いとのことで

「僕、持ってきます! うちにたくさんあるから!!」

と妙に大声でハキハキと自宅まで駆けて大急ぎで湿布と絆創膏を大量に持っていった。あれはやり過ぎた。「ありがとう。頼りになるわね」とn子の母から言われ、自分の顔が真っ赤になってはいないか、たいへん心配になった。

 おんぶされながらn子は普段より早口でいろんなことを話した。普段は無口なほうなのに。転んだ時にうまく支えてくれてありがとう、よく咄嗟にできたね、それにしてもあの美男美女カップルすごいよね、コロナでも付き合ってるとキスしちゃうんだ、云々。k吾はうん、そうだね、そうかあ、と短く返事を返すのみ。

 内心はこう。

・いま私の背中には貴女の乳房が当たっております。厚手の冬服を通しても明確に認識できるくらいです。

・陸上部で鍛えたからおんぶくらいは容易にできますが、15歳の女の子のリアルな重みはなんとも言えぬ負荷。妹を最後におんぶしたのは3年くらい前の昔だし、物事の重みが違う。

・そんな状態でよそのカップルのキス話を延々とされ、気が狂いそうです。コロナでただでさえ気詰まりなところに正反対の爆弾を落とされた感じ。

 俺も男なんだよ。

 1つだけ自分を褒めるなら、咄嗟にコーヒーの紙コップを投げ捨て、火傷しないでn子を抱えられたことだろう。実はn子が駐車場の車止めに乗ってバランスを取ったりしているのを予め「危なっかしいな」と少し警戒して見ていたのだった。小さい頃から父に「車止めは危ないんだよ。うっかり躓いて怪我することがあるからね」と百万回聞かされていたし、活発な妹が転んだりしないか気を払う癖は付いていた。普段の心掛けだな、と思う。

 コロナでこれからどうなるか、誰にも分からない。人目を避けてひっそり暮らすのもありかな、と思い始めていたところによそのカップルのキスがあり、n子のリアルな重みを感じる稀有な経験をした。どうすればいい? できれば知らぬふりしてポーカーフェイスを貫きたいが、内側で脈動する強い力、漲る力に押し流されそうにもなる。いや、もう洪水は我が魂に及び、荒川放水路あたりまで壊滅状態。自衛隊の出動を要請しなければならないくらいだ。

 寝られるわけないだろ。明日もどうせやることはないし、お茶でも淹れてだらだらするか。寝室の親に怪しまれないように、足音を立てずにキッチンに向かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?