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reasonable accommodation の訳語について

2020年8月14日 Facebook投稿

個人的にも存じ上げているある方が、reasonable accommodation の訳は「合理的配慮」より「合理的調整」の方が近いのでは、という投稿をされていた。
同じことは、国連の障害者権利条約(CRPD)の委員としても活躍されている 石川 准 (Jun Ishikawa) 先生も述べておられる(1番目のコメント欄)。
難しい議論は専門家の方々におまかせするとして、私の知っていることだけをつぶやいておきたい。
ご存じのように、日本で、合理的配慮という言葉がとりわけさかんに喧伝されるようになったのはCRPDの制定とその外務省訳が出されてからである。
よく知られているように、CRPDはアメリカのADAを、そのADAはリハ法504条を、そのリハ法504条は公民権法を下敷きにしていることから察せられるように、reasonable accommodation という概念は、古くは公民権法が1972年に改正されたときから登場している(2番目と3番目のコメント欄)。
私が初めてADAについてまとめた文章を書いたときには、なんと訳したかは正確には覚えていないのだが(原稿をひっくりかえせばでてくるかもしれないが)、合理的調整とか合理的便宜とかいう漢字熟語の固い表現だったことだけは確かである。
それに対して、掲載誌の監修者である、当時の厚生省から「この表現はわかりにくいので『必要な配慮』としてほしい」という要請があり、素直に従った覚えがある。
その後、厚生省レベルでは継続してADA関連の文脈では、reasonable accommodationについては「必要な配慮」という訳語が使われていたはずである。
やがて、ADAへの熱と関心が薄れた頃にCRPDが登場すると、そのような流れは顧みられずに、国連は外務省の縄張りだったことから、外務省訳が主流と化したと理解している。
昨今は、アメリカのセミナーやウェビナーなど催事の案内を見ていると、申し込みの際に「reasonable accommodation があれば書き添えてほしい」と書かれているのをしばしば目にすることがある。
こういうのを目にすると、合理的配慮という表現よりも、かつての「必要な配慮」のほうがまだましなような気がしている。
それどころか、もっとくだけて「必要なこと」くらいのほうがさらによいのではないかとさえ思えてくる。

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実は「アメリカ人にとってさえも、reasonable accommodation はわかりにくい概念である」という意味のことを「ADAの衝撃」(1991年刊、絶版)への寄稿の中で Lex Frieden 氏も書いている。
同氏はADAの原型となった政策立案をした当時のNCDの事務局長であり、彼をしてもそう言わしめるものなのである。
新しい言葉、とりわけ海外から発信されたものが示すものの概念が、日本の関係者誰でもが共通理解を明確にもてるようになるまでには時間がかかる。
ノーマライゼーションしかり、インクルージョンしかり、エンパワメントしかり。
訳語がなんであれ、一つのことを示す記号であると思えば、基本的な意味を損ねない限り、なんでも構わないともいえる。
それぞれの言葉が用いられ始めた時はちんぷんかんぷんという人が多かったのに、今では、行政マンは「ノーマライゼーションは社会の基本理念」、教師は「インクルーシブ教育こそ教育のめざすべき姿」、施設職員は「大事なのは本人のエンパワメント」などとサラッといってのけている。
合理的配慮も、それが言い出され始めた時には、霞が関のある役所などは見向きもしなかったのに、今ではまるで自分たちがいいだした概念であるかのような扱い方である。
エンパワメントという言葉もreasonable accommodation同様、障害分野以外における長い前史を有している概念である。
この言葉を障害者シーンで一般的にしたジャスティン・ダートさんの「エンパワメントというのは果たしてどういう意味なのか」という問いに対する答えが「みんなよくわかっていないのさ。でも、10年もみんなで言い続けていれば、そのうち共通理解ができるものだよ。言葉なんてそんなものだ」というものだったのを思い出す。

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